2017年12月29日 1508号

【許せぬ米軍ヘリ部品落下事件/住民と基地は共存できない/国際法違反の普天間は閉鎖だ】

 またもや一歩間違えれば大惨事の事故が引き起こされた。12月13日、沖縄・普天間基地の米海兵隊所属CH53E大型輸送ヘリコプターが、重さ7・7`の金属製窓を基地に隣接する普天間第二小学校の運動場に落下させた。授業中の54人の生徒がおり、一人が腕にけが。校長が「軽いけがですんだのは奇跡だ」と言うように決してあってはならない事件だ。普天間基地は即時閉鎖しかない。

米軍全機飛行中止求める

 1週間前の12月7日にも、普天間基地に近接した保育園の屋根に同型ヘリの円筒形部品落下事故が起きた。屋根の下の部屋には園児がおり、園庭では50人の園児が遊んでいた。父母らは飛行中止の嘆願書を出し、沖縄県は「人命に関わる重大な事故につながる」と飛行自粛要請。それらをいっさい無視して飛行を続ける中での今回の事故だ。



 翁長(おなが)沖縄県知事は「今日は名護市でのオスプレイ墜落から1年。原因究明もしないまま飛行を続けてきたことの積み重ねで今回の事故が起きた」(12/13)と抗議。14日には上京し、防衛省や外務省、米国大使館などにすべての米軍機の緊急総点検とその間の米軍全機飛行中止などを求めた。しかし、安倍政権はこうした沖縄県の当然の要求に対し、「どういうロジックか分からない」(山本防衛副大臣)と即座に否定し、米軍には飛行再開前提の「自粛」要請のみ。米軍は県の切実な要求を無視し、事故からわずか6日後の19日、そのCH53Eヘリの訓練を再開した。日米両政府は、市民の命・安全を全くかえりみることなく戦争推進に突き進んでいる。

異常な事故続発

 沖縄県内での米軍機事故は、1972年復帰以降だけで700件以上にのぼる。

 米軍統治下の1959年には、米軍ジェット戦闘機が民家35軒をなぎ倒し、石川市(現うるま市)宮森小学校校舎に墜落炎上。死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人を出す大惨事となった。

 近年では、04年に沖縄国際大学構内にCH53Dヘリが、昨年12月には名護市安部(あぶ)の集落近くの海岸にMV22オスプレイがともに墜落。今年だけでも、今回の事故と同型ヘリによる久米島で故障緊急着陸(6月)、東村(ひがしそん)高江で墜落炎上事故(10月)など14件と信じがたい数字となる。

 この原因は、沖縄県内に集中する米軍基地と訓練の激化、そして市民生活を無視して進む日米軍事一体化にある。国民の安全を守るための日本の航空法は、日米地位協定により米軍には適用されない。米軍機はいつでもどこでも我が物顔で自由に飛べる。1996年の飛行経路日米合意は、学校や人口密集地域上空の飛行について「できるだけ避ける」と、明確に禁止するものではなく、米軍は「訓練区域内」として小学校上空の飛行が常態化している。住民と基地は共存できないのは明白だ。

 安倍政権はこの現実に異を唱えるどころか、「空飛ぶ欠陥機」オスプレイを「安全」と強弁する始末だ。

 1998年、米海兵隊電子戦機EA6がアルプスのスキー場のゴンドラケーブルを切断しスキー客20人が死亡する事故を起こした。これを機にイタリア政府は「空の暴走族は許さない」として米国との間でイタリア安全基準を満たした訓練のみ認めるものに地位協定を改定している。主権国が要求すればできるのだ。

撤去は日本政府の義務

 宜野湾(ぎのわん)市の米軍普天間基地は、市の総面積の4分の1を占める巨大基地。市のど真ん中、市街地の中心部に位置している。ラムズフェルド元米国防長官すら「世界一危険」(03年)と認めざるを得なかったこの基地は、二重の意味で国際法に違反している。

 第一に、沖縄の米軍基地は、住民が収容所に押し込められている間に米軍が「銃剣とブルドーザー」で土地を強奪し構築した。1971年に佐藤首相(当時)も「陸戦法規に違反する」と答弁しているように、占領下での私有財産の没収を禁じたハーグ陸戦法規に明白に違反したものだ。

 二つ目は、軍民分離の原則に反することだ。日本政府も批准しているジュネーブ条約第一追加議定書第58条は攻撃に対する予防措置を定め、人口集中地域またはその付近に軍事目標を設けることを禁じる。さらに住民、個々の文民及び民用物を軍事行動から生ずる危険から保護するため、その他の必要な予防措置をとることを「実行可能な最大限の範囲まで」行うよう定める。普天間基地は、存在そのものが許されない施設なのだ。

 普天間基地は、米軍に提供している日本政府の施設であり、安倍は自らの義務として直ちに撤去する義務がある。米国に即時無条件閉鎖と撤去を要求しなければならない。

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS