2017年12月29日 1508号

【非国民がやってきた!(272) 土人の時代(23)】

 人類館の思想は、西欧諸国が大航海に乗り出し、世界各地を植民地化した結果として生み出されたものです。異なる他者との出会い、驚き、畏敬が、植民地支配の過程で優等・劣等の差別に転じていきます。同じ人類と言いながらも、支配する優等な人種と、支配される劣等な人種に切り分け、侮蔑し、憐憫をかけ、人間性を否定していきます。

 <文明と野蛮>の思想を支えたイデオロギーは「啓蒙」と呼ばれましたが、それはキリスト教を知らない野蛮人に対する「啓蒙」となり、宣教師や文化人類学者が植民地支配の尖兵となります。

 人類館という名の「動物園」に他者を収容する思想は<文明と野蛮>の謎の解明に向かい、優等と劣等の解剖学に発展します。「我々と彼らはなぜ違うのか」を探求する精神が、文化人類学、心理学、医学、生理学、解剖学等々を総動員して新たな学問体系を構築します。そこに最強の進化論が組み込まれます。

 「150年の植民地主義」はアイヌモシリや琉球の植民地化、植民地分割、人類館を経て、組織的な墓暴きに乗り出します。

 2017年10月19日、アイヌ民族の団体である「コタンの会」は、北海道大学が研究目的で発掘し持ち去ったアイヌの遺骨返還を求めて、札幌地方裁判所に提訴しました。被告は北海道大学と新ひだか町です。請求内容は、北海道大学には、北海道日高管内新ひだか町(旧静内町)で発掘された193体の遺骨返還を求め、新ひだか町には再埋葬のための墓地の提供を求めるものです。

 アイヌ民族はこれまでにも北海道大学を相手に訴訟を提起してきました。

 2012年2月17日、JとOは、北大が保管しているアイヌ遺骨の返還を要望し、対話を求めて北大へ出向きました。予め面談要請の文書を郵送し依頼していたにもかかわらず、北大当局は玄関にガードマンを配置し面会を拒否しました。午前10時からおよそ5時間にわたり、雪交じりの寒風に耐えながら高齢な2人は面談希望を表明しましたが、受け入れられることはありませんでした。2人は辛うじて面談要請文書を手渡して帰りました。しかし、数ヶ月経過しても回答がなく、面談は拒否され続けました。

 2012年9月14日、2人はもう一人のアイヌと3人で、浦河町杵臼墓地から持ち出された遺骨の返還と、一人当たり300万円の慰謝料支払いを求めて、札幌地裁に提訴しました。遺骨が持ち去られたため先祖供養ができず、信教の自由を侵害されているからです。

 北大総務企画部が当時認めた文書「第一解剖移管」によると、山崎春雄(北大解剖学第二講座教授)及び児玉作左衛門(解剖学第一講座教授)らが日高地方で遺骨を発掘し、北大に持ち運んだ59体の遺骨が保管されていました。

 3人は杵臼墓地から持ち出されたすべての遺骨の返還を求めました。遺骨の大半は誰のものか不明とされていますが、アイヌ民族のコタンは単なる集落ではなく、葬儀、供養、祭祀を共同で行う自治組織です。原告が生まれ育ったコタンの祖先たちの遺骨の返還を求めました。

 これに対して、北大はあくまでも返還を拒否し、全面的に争いました。旧民法では、墓地や遺骨の所有権は家督を相続する戸主に帰属するとされ、戦後の民法改正によって家督相続制度が廃止されたものの、祭祀継承者の規定が残りました。北大は、祭祀継承者に返還するが、それ以外の者には返還しないと主張しました。

 ところが、北大の研究者たちは盗掘した遺骨が誰のものであるか記録を破棄したため、祭祀継承者を特定することは不可能です。こうして長期にわたる裁判闘争を余儀なくされ、原告の一人Jは2015年3月に他界しました。

 この間、2014年1月、北海道紋別市のモンベツコタンの子孫であるHが、北大が保管している遺骨5体の返還を求めて提訴しました。同年5月、北海道浦幌町の浦幌アイヌ協会が、北大が浦幌町愛牛地区で発掘した63体の遺骨、同町十勝太地区で収集した頭骨1体の返還を求めて提訴しました。団体が提訴したのは初めてでした。

<参考文献>
植木哲也『新版・学問の暴力』(春風社、2017年)
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