2017年12月29日 1508号

【シネマ観客席/否定と肯定 原題DENIAL/監督 ミック・ジャクソン 2016年 英国・米国 110分/歴史歪曲との闘いに妥協はない】

 ホロコースト(ナチス・ドイツが組織的に行ったユダヤ人大量虐殺)否定者との法廷闘争を描いた映画『否定と肯定』(原題DENIAL=否認)が公開中だ。荒唐無稽なデマであっても無視は黙認と同じこと。本作品が示すように、歴史修正主義者との闘いに妥協はないのである。

否定者との法廷闘争

 1994年、米国アトランタ。歴史学者のデボラ・E・リップシュタットが大学で講演していたところ、一人の男が「嘘を教えるな」と挑発してきた。彼の名はデイヴィッド・アーヴィング。英国の歴史作家で有名なホロコースト否定者。そして、リップシュタットが著書の中で辛らつに批判した人物だった。

 「ホロコーストはなかった。ヒトラーはそんな命令書を書いていない」。そう叫ぶアーヴィングをリップシュタットは相手にしなかった。議論すれば、根も葉もないデマが学説の一つであるかのように思われかねない。否定者と同じ土俵には乗らない、というのが彼女の信条だった。

 すると、アーヴィングはリップシュタットと出版社を名誉毀損(きそん)で告訴した。なぜ英国の裁判所に訴えたのか。英国の名誉毀損訴訟では、対象とされた文言の正しさを証明する責任は訴えられた側にある。リップシュタット側が抗弁しなければアーヴィングの勝訴となるというわけだ。

 否定者に「我々の正しさを裁判所が認めた」と吹聴してまわらせるわけにはいかない。リップシュタットは法廷で争う決意をする。支援の輪が広がり、敏腕弁護士や学者による「最強チーム」が結成された。対するアーヴィングは弁護士をつけず、尋問等は本人が行うという。

 陣容的には負けるはずがない裁判。だが、待っていたのは数々の困難だった…。

厄介な嘘と詭弁

 本作品は実話にもとづいており、ドラマ化にあたっては歴史的な裁判の忠実な再現に力点が置かれた。法廷シーンのセリフは裁判記録をそのまま使ったという。

 判決が出たのは2000年4月。リップシュタット側の勝利だった。その結果、アーヴィングが「差別思想に凝り固まった嘘つき」であることが世間的にも認知された。ただし、そこに至るまでの闘いは楽なものではなかった。

 まず、弁護団の方針にリップシュタット自身が困惑した。法廷で証言することを禁じられたのだ。アーヴィングは詭弁術に長けている(まるで橋下徹)。法廷で揚げ足を取られうろたえたりすれば、裁判官の心証を悪くするおそれがある。そうした事態を避けるための苦渋の選択だった。

 同じ理由でホロコースト生存者の証言申し出も断った。アーヴィングが証言者の記憶違いや細かな間違いをあげつらい、嘘つきよばわりすることは目に見えている(このあたりは、日本軍「慰安婦」問題における歴史修正主義者の言説とそっくり)。公開の場で生存者を侮辱する機会を与えるわけにはいかなかった。

 歴史修正主義者が好んで使う一点突破論法も厄介だった。「証言者はガス室には毒物投入口があったというが、屋根にそんな穴はない→殺戮用のガス室などない→ホロコーストはない」というやつだ。論理の飛躍は明らかだが、一部の新聞は「穴もホロコーストもなし」という見出しでアーヴィングの主張を大きく報道した(これもまた現在の日本で起きていることだ)。

 では、何がリップシュタットを勝利に導いたのか。弁護団はアウシュビッツの現地調査を行い、否定論のネタ元を検証し、アーヴィングの日記から差別的な言動を探った。彼が意図的に史実を歪曲していること、すなわちリップシュタットの批判が正しいことを、事実の積み重ねで立証したのである。

この邦題は安倍忖度

 裁判から18年たった今、リップシュタット(本人)はこの映画について、「悲しいことですが、とても現代に通じるものになっている」と語る。「ポスト真実の時代」と言われ、フェイクニュースをたれ流すドナルド・トランプのような人物が米国の大統領になってしまった。

 日本の現状も同じだ。「従軍慰安婦は朝日新聞の捏造」「南京大虐殺は中国共産党の反日宣伝だ」といった主張が堂々と語られている。ネット空間では常識化しているといってもいい。ナチス礼賛がタブー視されている欧米以上に、歴史修正主義が社会全体をむしばんでいる。

 ところが、日本のメディアは本作品を紹介するにあたって、「慰安婦バッシング」など今この国で行われている歴史歪曲策動に言及することがほとんどない。そもそも、映画のメッセージとは正反対の邦題を付けること自体がおかしい。『否定と肯定』なんて、歴史修正主義者が喜ぶ「両論併記」ではないか。

 安倍政権への過剰な忖度(そんたく)が映画界にも及んでいる。今の日本はアーヴィングの同類が政権を握り、メディアをコントロールしている国なのだ。おそらく裁判当時のリップシュタットよりも、私たちは厳しい環境の中にいる。

 だからこそ、歴史修正主義者がまき散らすデマを黙って見過ごすわけにはいかない。「基本的な信念は妥協してはいけない。闘い続け、『嘘は嘘』だと言わなければならない」(リップシュタット)のである。      (O)



ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS