2018年01月05・12日 1509号

【ウチナーびけん 97 沖縄と韓国つないだ平和への想い】

 12月ZENKOスピーキングツアーと沖縄集会成功に向けて、ZENKOおきなわメンバーは当日まで粘り強く呼びかけ、集会会場は追加席をつくるほど多くの参加者で埋まった。

 約1か月前から、辺野古や高江現地、那覇の街頭署名などで直接対話しながらビラを配り、チケットを販売。運動や選挙でつながってきたあらゆる方々に依頼し、新聞広告なども活用して全力で取り組んだ結果だ。

 12月10日、ツアー開始。ガイドと通訳の沖本裕司さんは、恨之碑の会で一緒に活動しているメンバー。地元の八重瀬町で平和ガイドをしながら辺野古で座り込むパワフルな活動家だ。フィールドワークで訪れた糸満市内の航空自衛隊与座岳レーダーサイトは、ゴルフ場に隣接。集落から500bしか離れていない。宮古の自衛隊レーダーサイトではもっと近い所に民家がある。韓国のサードミサイル基地も集落から2`しか離れておらず住民が抗議しているとのこと。電磁波の影響が共通の問題になっていることも分かった。

 11日の集会では、韓国の反基地反原発の運動を続ける住民の映像と沖縄への連帯メッセージが紹介され、星州(ソンジュ)のサード配備反対の「サードを抜いて平和を植えよう」が印象的だった。宮古報告では、野原(のばる)での防衛省主催の住民説明会で「すでに航空自衛隊の被害があり、さらに陸上自衛隊基地が造られるのは絶対反対。私たちの人権はどうなるのか」との住民の追及に、防衛省は「人権のことはわからない」と言い放ったという。絶対に許されない。高江ではヘリパッド建設がまだ終わっていない。11月、奥港から台船で1日4千dの砕石を辺野古へ運ぶ計画に対し、採石場や奥区の道、港の入り口に地元住民と共に座り込み、積み込み時間を遅らせ、実際には1日に500dしか運べない。

 集会の翌12日、普段プサンで演劇活動をされているユ・ミヒさん、ビョン・ヒョンジュさんの話を聞くことができた。ユ・ミヒさんは「慰安婦」の役を演じている。韓国の人びとへの連帯メッセージ撮影後、2人から「沖縄の若い運動メンバーと出会えてよかった。頑張って」とうれしい感想をいただいた。東アジアから戦争と核がなくなるまであきらめずに闘おうと決意した。

        (那覇和子)

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