2018年01月19日 1510号

【非国民がやってきた!(273)土人の時代(24)】

 アイヌ民族の墓を暴いて遺骨等を持ち出す暴挙は「学問」の名において行われました。

 人類学は<文明と野蛮>の二元論を理論化していました。西欧文明に追いつけ、追い越せと「文明国」「一等国」をめざして走り出した日本は「野蛮国」「二等国」を見下すメンタリティを「自然」に形成していきました。<文明と野蛮>の二元論を身に着けた日本の人類学は、「野蛮」な隣人を発見します。アイヌ民族、琉球民族、台湾のタイヤル族、朝鮮民族との接触を通じて、「野蛮」な隣人像を描き出し、「文明」の日本を誇ります。

 文明と野蛮を文化的に、あるいは身体的に探求した人類学は、アイヌ民族等の隣人と日本人の文化を比較し、身体を比較しました。「遅れた野蛮な隣人」と「進んだ文明の日本」という差別と偏見を学問的に立証するために、身体を測定します。身長、体重、胸囲をはじめ身体的特徴を示すデータを収集します。目や耳や鼻の形状や間隔を測定します(骨相学)。「生きた標本」だけではなく、過去に遡って調査する学問的探究心が墓暴きを正当化します。

 墓暴きは、本来なら墳墓発掘罪(刑法189条)に該当します。「墳墓」とは、人の死体・遺骨・遺髪等を埋葬して死者を祭り、礼拝の対象とする場所のことです。盗掘は死体領得罪(刑法190条)にも該当します。死体、遺骨、遺髪又は棺内に蔵置した物を損壊、遺棄又は領得する行為は犯罪です。

 すでに祭祀・礼拝の対象でなくなった古墳等は「墳墓」にあたらないとされていますから、古墳、天皇陵などを学問的に発掘することは認められるべきです。

 しかし、現に祭祀の行われていたアイヌ民族の墓地を学問の名において暴き、遺骨等を持ち出したのです。

 2017年4月、文部科学省は『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の再調査結果』を公表しました。2014年1月に調査結果が公表されましたが、その後、保管数に増減があったことと、前回調査が不徹底であったために、再調査では全国公私立大学、全公私立短期大学、全大学共同利用機関を対象としたといいます。

 現在、遺骨を保管している大学は12大学です。最も多いのが北海道大学1015体、次いで札幌医科大学294体、東京大学201体、京都大学87体、大阪大学32体、東北大学20体、新潟大学16体、東京医科歯科大学8体、大阪市立大学、南山大学、岡山理科大学それぞれ1体です。天理大学にも個体ごとに特定できない遺骨が5箱確認されています。

 個体ごとに特定できた遺骨は1676体です。そのうち個人が特定できる遺骨は38体です。個体が特定できない遺骨は大小さまざまな382箱に納められています。

 遺骨が保管されるようになった時期は、1878年〜1944年にかけて900体、戦後の1950年〜2014年にかけて654体、その他は時期不明です。

 遺骨が保管されるようになった経緯としては「研究のための収集」が961体、「他者からの寄託」が438体、「地方公共団体からの依頼による調査」が213体です。保管部局は医学系の学部・研究科、大学博物館等です。

 発掘主体は、大学の研究者が発掘したのが854体、地方公共団体が381体です。遺骨の部位は頭骨が828体、全身骨が734体、四肢骨が58体です。

 個体ごとに特定できなかった遺骨は382箱に納められていますが、時期や経緯は同様です。発掘された場所は北海道が279箱、樺太(サハリン)が10箱、千島列島が17箱です。

 アイヌ民族の墓を暴き、骨を盗んだのは大学研究者や公務員でした。1980年、アイヌの海馬沢博が公開質問状を出した当時、北大医学部はアイヌの人骨を「動物実験施設」に保管していました。1984年、北海道ウタリ協会の要請に応じて「アイヌ納骨堂」が建設されました。

 2007年の国連先住民族権利宣言採択後に日本政府はアイヌ民族を先住民族と認めました。2012年に公表された「民族共生象徴空間」構想では、北海道の白老町にアイヌ遺骨を納める慰霊施設をつくることになっています。しかし、盗掘についてアイヌ民族への謝罪はなされていません。

<参考文献>

北大開示文書研究会『アイヌの遺骨はコタンの土へ――北大に対する遺骨返還請求と先住権』(緑風出版、2016年)
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