2018年02月16日 1514号

【非国民がやってきた!(275) 土人の時代(26)】

 アイヌ民族の墓を暴き、遺骨を盗んだのは北海道大学だけではありません。札幌医科大学、東北大学、東京大学、京都大学、大阪大学等にもアイヌ民族の遺骨が保管されています。実行犯は、形質人類学と称する「学問」に携わる研究者たちでしたが、当時の帝国大学には殖民学という講座がありました。

 殖民学と人類学は文字通り植民地主義を具現化した「学問」でした。札幌農学校に始まる日本植民学は、北海道帝国大学において「学問」として発展させられました。新渡戸稲造、高岡熊雄、佐藤昌介、高倉新一郎等々により「開拓」「拓殖」「開発」の理論が構築され「学問」として成立することになりました。それが東京帝国大学にも受容され「帝国の学問」として開花したのです。人類学も同様に北海道帝国大学や東京帝国大学を拠点に全国に浸潤していきました。

 「東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会」は「アイヌ民族の遺骨略奪と差別研究を本格的に開始し、人類学を他民族支配に奉仕する帝国主義の学問として仕立て上げ、全国の大学・研究機関の頂点に立ってきたのが東京大学です」と特徴づけています。

 何しろ旧東京大学初代総理は加藤弘之(後の帝国大学総長)でした。加藤は一般には「天賦人権説」の紹介者として歴史に残っていますが、同様に社会ダーウィニズムの紹介者でした。加藤総理のもとで「人類学会」を設立した坪井正五郎が人類館の実践的指導者でした。アイヌ民族の遺骨を略奪した小金井良精も東京大学の人類学者でした。坪井、小金井、鳥居龍蔵、清野謙次(京都大学)、浜田耕作(京都大学)らが東京人類学会を創設し、人種差別の人類学を構築・体系化しました。

 坪井と小金井の盗掘と「学問」を検討した「東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会」は、次のように指弾します。

 「小金井は、アイヌ民族を『劣等(頽廃)民族』と決めつけ、民族を血統で規定する血統主義に基づき『純粋アイヌ』滅亡論を唱えています。しかし、いかなる民族も歴史的に交流を重ねて形成されてきたのであって『純粋民族』など存在しません。一体『純粋アイヌ』とは何でしょう。『純粋日本人』とは誰でしょう。『純粋アイヌ』とは、人類学者が生物学主義的な固定的基準に基づいて勝手に作り上げたモデルに過ぎません。小金井は、このようにしてデッチ上げた『純粋アイヌ』を基準として『滅びゆく民族論』を唱えるわけです。アイヌ民族は天皇制国家によるジェノサイド(絶滅政策)によって民族存続の基盤そのものを奪われ同化を強制されてきました。小金井は、こうした歴史を勝者(国家・日本人)の立場から正当化し、その侵略支配の結果をアイヌ民族の『劣性』のせいにして『アイヌ民族の滅亡』を語っています。まさに『優勝劣敗』の社会ダーウィニズムの全面展開であり『純粋アイヌ滅亡論』の典型です。」

 「京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会」は、京都大学の清野謙次らによる人種差別と遺骨盗掘を徹底調査した上で、その「学問」と人脈が京都大学を根城にした731部隊につながることを解明し、「731部隊はそれだけが孤立して存在したのではなく、それを可能とする大学と社会の土壌がありました。帝国大学とその学問は、天皇制国家の侵略植民地支配と皇軍の軍事侵略に直接的に奉仕しました」と結論付けます。

 「阪大・人骨問題の真相を究明する会」は、大阪大学の大串菊太郎、小浜基次らに始まる遺骨盗掘を追跡し、第2次大戦の敗北による戦後改革(民主化)にもかかわらず、人類学者たちは何ひとつ反省することなく盗掘を続けたことを浮かび上がらせます。「旧帝国大学の人類学は人の形質をもって諸民族を独断する生物学的人種思想につらぬかれています」とし、それが今日に引き継がれていることを告発します。旧帝国大学が現在、アイヌ民族の遺骨をいやいやながら、謝罪もなしに、ごく一部を返還したのみで、自発的に返還しようとしないのは、差別的人種理論に基づく「研究」を今なお継続しているためです。

<参考文献>
植木哲也『殖民学の記憶――アイヌ差別と学問の責任』(緑風出版、2015年)
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