2018年03月02日 1516号

【非国民がやってきた!(276) 土人の時代(27)】

 文化人類学者による先住民族の墓暴き(盗掘)はアイヌ民族に対してだけではありません。琉球民族に対しても同じことが行われました。

 2017年5月、琉球民族遺骨返還研究会代表の松島泰勝(龍谷大学教授)は京都大学博物館に対して「百按司(むむじゃな)墓遺骨」に関する質問を提出しました。人骨の保管数や保管状況を明らかにせよという内容です。

 百按司墓は琉球・今帰仁(なきじん)村の運天の崖の中腹にある墓地です。按司とは地方の有力者の呼称で、百は数多くのという意味です。16世紀以前に始まった墓地と考えられ、琉球の葬制を知るうえで最古級の資料と言われます。

 1928〜29年、金関丈夫(京都帝国大学助教授)は百按司墓から遺骨を持ち出しました。金関は26体の遺骨を京都大学に、33体を台北帝国大学に寄贈しました。

 警察の許可を得たと言いますが、門中関係者や地域住民の了解を得ずに行われた盗掘です。金関自身が公表した雑誌論文には、古人骨だけでなく「最近の人骨」もあったと書かれています。行き倒れた人などを埋葬した那覇市内の墓地から10体を掘り出し、中城(なかぐすく)村では墓地から無断で人骨を持ち出そうとして地元の人から制止されたことも書いています。違法な盗掘と知りながら行っていた証拠です。

 これは金関による個人的行動ではありません。金関の指導教授だった足立文太郎教授が琉球人の体質人類学的研究の必要を説き、帝国学士院から研究費の補助を受けて、金関を派遣したのです。大日本帝国及び京都帝国大学による盗掘です。

 同様に1930年代には、清野謙次(京都帝国大学教授)の門下生らが奄美大島から80体、沖縄島から80体、喜界島から70体、徳之島から80体の遺骨を盗掘し、京都大学に「清野コレクション」を設置しました。

 こうした歴史を確認するために、松島泰勝は京都大学博物館に対して質問状を出したのです。しかし、京都大学はこれを拒否しました。収蔵されている遺骨を見せることも、その由来や歴史に関する質問に応答することもしません。琉球新報や沖縄タイムスの取材も拒否しました(『琉球新報』2017年8月24日)。

 そこで、2017年8月、松島泰勝は改めて琉球人遺骨返還に関する要望・質問書を山極壽一京都大学総長に提出しました。これに対する京都大学の回答(2017年9月7日)は次の通りです。

 「本件について個別の問合せ・要望には応じかねます。つきましては、本件で本学を来訪することはご遠慮いただきたく存じます。なお、今後、何らかの形で新たな問合せ・要望をいただいたとしても、応じかねますので、ご了承ください」。

 2018年1月21日、今帰仁村教育委員会が、「百按司墓遺骨」の返還を求めて京都大学と交渉する方針が明らかになりました。2004年に百按司墓木棺の修理が行われた際、村教育委員会は京都大学総合博物館で人骨26体を確認していたので、その後処分していなければ確かに京都大学が遺骨を所有・保管していると考えられます(『京都新聞』2018年1月21日)。

 村教育委員会が実際に返還を申し入れれば、自治体が大学に遺骨返還を求める初の例になるようです。アイヌ民族の遺骨については、個人や団体が返還を求めてきましたが、自治体が求めたことはないからです。

 しかし、京都新聞の取材に対しても、京都大学は「問い合わせに応じない」と回答しました。

 アイヌ民族が北海道大学に遺骨の保管数や保管状況をただした時、北海道大学は回答も面会も拒否しました。琉球民族が質問と要望を出しても、京都大学は同様に回答も面会も拒否しました。

 ここに大学の「学問」が骨がらみで差別の学問であることが如実に示されています。帝国時代の「学問」を継承し、いまなお先住民族を差別し続ける強烈な意志が示されているのです。
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