2018年04月27日 1524号

【一部開示の日報に"戦闘"表記/イラクで何をしてきたのか/侵略軍へ変貌進める自衛隊】

 「ない」とされてきたイラク日報400余日分の存在が確認された。自衛隊がイラクに派兵されたのは2004年1月。撤収する06年7月まで駐留期間は2年半約900日に及ぶ。公開された日報は半分にも満たない。自衛隊が初めて経験する「戦地」での作戦行動だった。この経験をもとに自衛隊の変貌は加速した。イラク戦争とは何だったのか。戦争法を廃止し、憲法9条改悪を2度と口にさせないためにも、徹底検証が必要だ。日報の完全開示はその第一歩となる。戦地イラクで起こっていたことのすべてを明らかにせよ。


陸自再編促したイラク派兵

 昨年2月以来、稲田朋美防衛相(当時)が「確認したが、なかった」と答え続けてきたイラク日報。小野寺五典防衛相は4月2日、その存在を明らかにした。その後も、自衛隊の多くの部署から「発見された」と公表が続く。1年以上前に見つけていた陸上自衛隊の研究本部教訓課をはじめ情報本部分析部、陸幕防衛課などや航空自衛隊の空幕運用支援課から出てきた。4月13日現在、435日分の日報の存在が確認されたという。だが、断片的であり、現地で何が起こっていたのか、全体像を把握するには程遠い。

 日報は「行動命令により活動する部隊が作成した上級部隊への定時報告」であり、「上級部隊は日報をもとに活動方針を決める」とされている。イラク特別措置法(03年)による派兵部隊が作成した日報。受け取った「上級部隊」が保管部署のはずだ。

 イラクの隣国クウェートを拠点とした空自の「輸送航空隊」は「航空支援集団司令部」に上げた。陸自の場合「上級部隊」はなく、「防衛庁長官(当時)の直轄下にあったことになる」と防衛省は形式的な回答でごまかしている。

 当時の陸自組織は、「専守防衛」の建前から、日本列島を5つの方面隊で「防衛」に当たる組織形態であり、海外派兵部隊を指揮する上級部隊はなかった。イラク派兵はそんな自衛隊が海外侵略軍を主軸とする組織へと変貌する画期となった。

 06年、日米共同作戦の実効を上げるためとして、陸海空3軍の指揮権を統合幕僚長のもとに集めた。陸自は07年、海外派兵に応じる中央即応集団、18年の陸上総隊へと体制を整えてきた。この組織作りのベースとなった「戦地体験」を記録したのがイラク日報だ。日報のすべてが明らかにされず、どこに集約されたのかも答えないのは、自衛隊組織改編の狙いをごまかさなければならない事情があるからだ。


「戦場」を経験した自衛隊

 日報問題の根幹は、自衛隊がイラクで何をしていたのかを明らかにすることだ。

 イラク派兵の経過を確認しておこう。03年3月「大量破壊兵器保持」の言いがかりをつけ開始した米英軍主体によるイラク攻撃。5月「大規模戦闘終結宣言」、7月形だけの「イラク統治評議会」発足で占領状態となる。国連安保理決議さえなく国際法違反の侵略行為と批判されていたイラク戦争を、当時の小泉政権は真っ先に支持。7月には「人道復興支援活動及び安全確保支援活動」と称して自衛隊派兵を行う「イラク特措法」を強行採決した。

 国会審議の過程で小泉は「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域」とする居直り答弁を押し通した。自衛隊が海外で戦闘することは明確な憲法違反であるからだ。イラクでは、8月にバグダッドの国連事務所が自爆攻撃を受け、特別代表が死亡している。戦闘は続いていた。明らかに戦地への軍隊派遣であった。

 04年1月、陸自は3か月交代で「復興支援群」約500名、半年交代の「復興支援隊」約100名を主体とした部隊を編成、イラク南部のサマワに駐留させた。05年12月4日、自衛隊が修復した施設の祝賀式典で銃撃戦が起こった。出席していた自衛隊員が包囲され、全滅の危機に直面した。これは後に報道されたほんの1例に過ぎない。日報をもとに陸上幕僚監部が08年に作成した「イラク復興支援活動行動史」には、「(イラク派遣は)純然たる軍事作戦であった」と明記されている。

 武装米兵や軍事物資の運搬を行った空自の活動は戦闘行為であり、憲法違反であるとの判決が確定している(08年4月名古屋高裁)。

 イラクで自衛隊は日常的に戦闘の中にあった。4月16日、一部開示された日報にも、サマワの治安情勢として「英軍に武装勢力が銃撃し、戦闘が拡大」(06年1月22日)の表記がある。

 「殺し、殺される」戦場の経験は隊員の心を崩壊させる。政府の報告でも、イラク特措法で派遣された陸自隊員約5600人中21人が、空自隊員約3600人中8人が、帰国後に自ら命を絶っている。

海外派兵めざす9条改憲

 イラク先遣隊隊長だった佐藤正久は「戦闘現場に駆けつけ、あえて巻き込まれ」戦闘行為に及ぶ考えであったことを公言した。佐藤は政治家に転身し、海外での戦闘行為を正当化する戦争法強行採決の最前線≠ナ活躍した。イラクの実体験が戦争法へとつながったのだ。

 その戦争法による新たな任務「駆けつけ警護」が付与されたのが南スーダン派遣隊だった。海外での戦闘行為を合法化し、実戦への突破口とすることを狙った。そんな事態となる前に、日報が暴かれ、撤収にいたった。

 「戦争する国」をめざす安倍はあきらめていない。トランプ大統領が4月13日、英仏とともにシリアを爆撃した。「アサド政権が化学兵器を使用」と断定し、「関連施設」の破壊にでた。アサド政権が使用したかどうかの検証を抜きにした一方的な攻撃で、国際法上許されない。この蛮行に、安倍はすぐさま「支持」を表明した。15年前のイラク戦争の再現だ。

 イラク戦争の検証を拒み、派兵への道を突き進む安倍政権。戦争法を強行し、海外派兵の支障となる憲法9条に手をつけようとしている。戦争法を廃止し、9条改悪を許さないためにも、イラクで起こした違法・違憲行為を徹底して暴かなければならない。 
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS