2018年05月18日 1526号

【非国民がやってきた!(281) 土人の時代(32)】

 アイヌ民族および琉球民族の墓を暴き、遺骨を盗んだのは北海道大学、東京大学、京都大学等の人類学者等の学者たちでした。それは「帝国の学問」であり、植民地主義と人種主義の帰結です。ただし盗掘は大日本帝国時代だけでなく、その一部は第2次大戦後の現行憲法の下でも行われました。植民地主義や人種主義に何ら反省をしなかったため、同じ意識のままに先住民族の遺骨を盗み続けたのです。

 現在、北海道大学や京都大学が、アイヌ民族や琉球民族からの質問も抗議もはねつけ、遺骨を返還しようとしないのも、植民地主義と人種主義を克服できていないためでしょう。むしろ、帝国主義の開き直りとさえ見えるほどです。

 国連総会が2007年9月13日に採択した先住民族の権利に関する国連宣言第12 条「宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還」には次のような条項があります(市民外交センター訳)。

 1. 先住民族は、自らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、その宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骨の返還に対する権利を有する。

 2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骨のアクセス(到達もしくは入手し、利用する)および/または返還を可能にするよう努める。

 第1項に「遺骨の返還に対する権利」が明記され、第2項に遺骨のアクセスや返還を可能とすべき国家の努力義務が示されています。

 遺骨の返還に関する権利は、個人の権利ではなく、先住民族という集団の権利として定められていることに注目しましょう。西欧近代においては個人を基本とした社会観が形成され、遺骨も個人単位で把握され、遺骨に関する事務は一義的には家族(遺族)の所管とされます。しかし、先住民族の中には、遺骨をコミュニティの所管と考える例も少なくありません。墓地の仕組みも個人墓や家族墓ばかりではなく、集団墓の存在が多く知られます。遺骨の返還に関する権利の主体が先住民族とされているのはこうした場合を射程に入れているためです。北海道大学等が「遺族が特定されれば返還する。特定されなければ返還しない」と、コミュニティへの返還に消極的なのは、こうした事情を考慮の外に置いているためです。

 自分たちの社会観、死生観だけを重んじて、マイノリティ集団の社会観、死生観を顧みないのは、単にそれだけならば他愛のない無知にすぎません。しかし、「帝国大学」の学問が国家権力と国家財政を用いて盗掘した遺骨をいまだに返還しない現状は、単に無知と言って済まされる問題ではなく、植民地主義と人種主義が生きている、と見なくてはなりません。マジョリティの社会観、死生観を優越させ、マイノリティの社会観、死生観を権力的に抑圧し、差別しているからです。

 先住民族権利国連宣言に遺骨の返還に関する条項が盛り込まれているのは、先住民族の墓地に対する盗掘が世界的に実行された歴史があり、遺骨の返還を求める先住民族の運動が続けられてきた歴史があるからです。それは日本に特有の現象ではなく、世界史的な帝国主義と植民地主義の歴史があるのです。

 2001年9月3日、ダーバン(南アフリカ)で開催された反人種主義・差別撤廃世界会議の「NGOフォーラム宣言」145は「先住民族の精神的な儀礼に対する宗教的不寛容およびその聖地と聖体を冒涜する行為は、侵略と植民地主義の開始以降、先住民族を従属させる基本的な手段であり続けており、これを終わらせるため国家が行動を起こさなければならない根強い悪弊である」としました。先住民族権利国連宣言はこれを継承、発展させたものと言えます。
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