2018年05月25日 1527号

【ルポ 日韓連帯ツアー(中)/目の前にした原発と被害/国家暴力に屈せず あきらめず】

 ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)は5月3日〜6日に韓国を訪問、反原発運動などと交流した。前号に続き、民衆の闘いを紹介する。

送電線が曲がった

 5月4日、慶尚南道(キョンサンナムド)の密陽(ミリャン)市を訪れた。密陽アリラン発祥の地、毎年5月はアリラン祭り。市街地の飾りつけが目を引く。この街の一角で10年以上にわたる高圧送電塔反対の闘いが続いている。原発からの送電を止める反原発の闘いでもある。

 村の入り口となる橋のたもとでZENKOメンバーは黙とうした。路面に残る白い「ゴム靴の跡」を囲んで頭を垂れた。6年前の2012年1月16日、74歳のイ・チウさんが自らの身体に火をつけ抗議した場所だ。数百b先、畑の中に100bに及ぶ巨大な高圧送電塔が立つ。新古里(シンゴリ)原発から約300`b離れた首都圏に電気を送る。世界で最も高圧な765`ボルト。「10b以内に近寄ると死亡する」ほどの強い低周波電磁波(磁界)の影響を受ける。イ・チウさんは鉄塔が立った畑を耕す農民だった。当時の市長関係者の所有地を迂回したためイさんの畑が潰された。他の個所でも元大統領朴槿恵(パククネ)関係の土地を避けて送電線ルートは曲がった。政府・韓国電力公社はその危険性を知っていた。

 05年、2200世帯が反対に立ちあがった。結局、鉄塔は立ち送電は始まった。だが今も約100世帯が補償を拒否して闘っている。イ・チウさんの行動が「最後まで闘う」力を与えている。そう話したのは「密陽765kV送電塔反対対策委員会」の事務局長李啓三(イゲサム)さん。穏やかな語り口ながら、聞かされる話は過酷だ。その場には高俊吉(コジュンギル)、具美賢(クミヒョン)夫妻が居た。共に元教師。10年ほど前、定年を機に移住してきた。具さんの祖父は植民地時代に日本に暗殺され、父は朝鮮戦争期右翼から拷問を受けた。3代にわたり国家暴力と闘う闘士≠ニなった。

連帯を求めて全国へ

 闘争本部となっている会館「広い庭(ノルンマダン)」には、10人近い住民が集まっていた。「一番若いので、運転などを担っている」と話したイ・ボハさんは70代と言った。最も激しい攻防となった地域の自治会長キム・ヒュゲさんは87歳だった。住民は鉄塔建設現場の山にのぼり、身体を張って工事を止めた。韓国電力の雇ったやくざの暴力や嫌がらせに耐えた。3千人の警官が動員された。密陽市が反対住民の情報を渡し、383人が拘束された。カネと脅しで反対住民が孤立していく。地域の共同体は分断された。「それが一番の苦痛だった」と住民は語った。

 対策委員会は他の国家暴力と闘う人びとを訪ね、連帯を広げていった。セウォル号の遺族を激励した。江汀(カンジョン)海軍基地、ソソンリのサードに反対する現場を訪れた。全国30か所で、3万部の小冊子を配った。釜山(プサン)の労働争議支援で生まれた「希望のバス」が、13年11月、14年1月、密陽に来た。3千人の支援者を乗せてきた。

 密陽の闘いは韓国電力に今後765`ボルトの超高圧送電線はつくらないと約束させた。だが密陽には超高圧電流による騒音と強力な電磁波による健康被害が出ている。「住民の願いは平穏に暮らしたいだけ。だから脱原発、脱送電塔をめざして闘っていく」とイ・ゲサム事務局長は話した。

 ZENKOからは沖縄辺野古の闘いを報告した。6日間で4700人以上が基地ゲート前に座り込み、工事車両を止めた。密陽の住民はじっと聞き入っていた。

こんな近くに原発が

 5月5日、訪れたのは慶尚北道(キョンサンプクド)慶州(キョンジュ)市。中心市街地から30`b足らずの海岸に月城(ウォルソン)原発がある。近くの原発宣伝館の敷地に14年8月、移住対策委員会はテント小屋をつくった。以来座り込みの場所だ。「福島原発事故後闘いを始めた」という副委員長のファン・ブンヒさん、総務のキム・ジンソンさんが迎えてくれた。

 甲状腺がんを発症したファンさんは原発から915bのところに暮らしている。914b以内は制限区域で、住民はいない。学校は移転した。住民の尿検査でトリチウムが100倍以上の数値を示した。5歳から70歳まで50人全員から検出された。孫まで全員が甲状腺がんになった家族もあった。原発の北側の村では、海女の3分の1が甲状腺がんになった。

 だが、移住したくてもできない。土地は通常の20分の1の値段でも買い手がつかず、移住資金が調達できないからだ。「出ていきたくても、出ていけない。ここはまるで収容所」と住民は思っている。移住の権利を保障する法案が16年11月に国会提出されたが審議は進んでいない。

 脱核慶州市民共同行動のイ・サンフンさんは近くの海岸にZENKOを案内した。美しいビーチ、釣りを楽しむグループや家族連れ。小さい子どもがはしゃいでいる。その光景にメンバーは声を失った。海岸線をたどると、すぐそこに4基の原子炉が見える。その距離約800b。立ち入り制限する障害物はなく、釣り人はさらに近い。原発を守る軍の施設がある。その壁に立ち入り制限の小さな看板があるだけだ。

 「政府は原発の危険性はないと言う立場から、制限区域への立ち入りを厳しく取り締まることはない」という。福島原発事故は原発の怖さを知らせたが、韓国の多くの人びとにとって、放射線被害はまだ身近なものになっていないのだろうか。30`圏には130万人が暮らす。釜山の古里原発では300万人にもなる。「日本の被害が伝わっていない」とファンさんは言った。「みなさんの訪問が、その機会を広げることになる。情報の共有、連帯を続けていきましょう」

分断される反原発運動

 韓国では約610人が原発による健康被害の補償を求め訴訟を起こしている。原発10`圏に5年以上居住し、何らかのがん手術を行ったことを条件に、さらに被害者を発掘している。韓国でも国を相手に裁判することは勇気がいる。その中で600人以上に上ったことは大きい。

 文在寅(ムンジェイン)政権は脱原発宣言をした。新規建設はしないはずだった。だが、新古里原発5号、6号機は「市民投票」で建設が決まった。「民主主義の名で原発建設が進んでいる」と脱原発釜山市民連帯チョン・スヒさんは言う。「文政権への抗議行動が困難になっている。脱原発運動が分断されている」と危機感を募らせる。

 住民投票は全員によるものではない。選ばれた「471人の市民参加団」が議論した結果だった。「福島事故で市民の意識は変わったと思ったが、情報を伝えきれなかった」とチョンさんは悔やんだ。反対キャンペーンを行った時、「まじめに努力する政府に反対するのか」と抗議も受けた。誤った情報が流れ、賛成に誘導された。

 日本の反原発運動の状況を報告した際、「日本の方が原発に反対する人は多いと思うが、なぜ再稼働できたのか」と質問が出た。世論は反対が多数だが、立地自治体はノーとは言えない。政府や銀行からの圧力、電力会社によるメディア支配など、「原子力ムラ」の支配を話した。

 どのように闘いを広げるのか。その問いかけは日本でも韓国でもつねに続く。まず真実を伝えることからだ。今回の日韓連帯ツアーに同行した韓国の若者は「韓国のニュースに福島事故はあまり出ない。食べて復興を応援≠ェ普通のことだと思っていた」と語った。韓国の原発被害やサードと闘う人びとと交流し、日本の反基地・反原発の闘いを知った。「闘っている人の思いがわかってよかった」と感想を語った。   (続く)



  



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