2018年05月25日 1527号

【稲嶺進前名護市長が語る 筋を通し闘い続ける 新基地は容認されていない】

 「(山城)博治さんがよく言うように、したたかに、しなやかに、めげずに頑張っていこう」。前名護市長の稲嶺進さんが訴える。5月13日、都内で開かれた沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催の「沖縄『日本復帰』46年を問う/今夏、辺野古への土砂投入を許さない!」集会に、元気な姿を見せた。

 辺野古500人座り込み集中行動に参加した稲嶺さん。「赤嶺政賢さん(衆院議員)と一緒にオリに入れられ、屈辱的な思いだった。抗議のカヌーを転覆させ、乗り込んできて羽交い締めにする。暴力で排除するのが今の沖縄。民主主義、地方自治、人権が問われる」と話す。

 薩摩侵攻以来の歴史をたどりつつ、「平和憲法の下に戻りたいと『祖国復帰』したが、復帰しても何も変わらない。アメリカと日本に思いのまま翻弄され、住民自治は“神話”にされてきた。本当に『祖国』と呼んでいい国なのか」と問いかけた。

 自らの生い立ちにふれ、「母子家庭で救済事業の給付を受け、母から『卑屈になるな。人様に迷惑をかけるな』と言われて育った。何も失うものはない。筋を通していく」と生きざまを語る。

 2期8年の市政は「市民目線で公正公平に、説明責任を果たすことを基本に進めた」。2人いた副市長を1人にし、その報酬毎年1千万円を「子ども夢基金」に積み立ててスポーツ・文化の県外派遣交通費などに充てた。11の保育所を新設し、1900人分の定員を確保した。

 市長選をふり返り、「相手候補は辺野古の“へ”の字も出さなかった。新基地が容認されたのではない」と語気を強める。稲嶺進後援会は解散するが、新たに「誇りある名護市をつくる会」を発足させ、秋の県知事選に向けて動き出す。稲嶺さんは最後に「これからも仲間として一緒に活動してほしい」と呼びかけた。

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