2018年06月15日 1530号

【非国民がやってきた!(283) 土人の時代(34)】

 2011年4月のアメリカ政府・説明責任局の報告書によると、スミソニアン博物館は1989年以来、先住民族の遺骨及び祭祀用具類の返還を進めてきました。

 アメリカ・インディアン博物館は1993年に最初の目録を作成しました。この目録には遺骨及び祭祀用具類が含まれていましたが、後になって4,000以上のカタログが含まれていないことが判明しました。博物館の電子データに入れられていませんでした。その結果、博物館は1994年に4,000カタログを含む追加目録を作成しました。博物館は、これらの遺骨類と関係がありそうな先住民族集団に情報提供しました。1996年の法改正後、博物館は新規の目録作成を行っていません。すでに完成したものと考えたからです。

 自然史博物館も、法定期限までに目録と一覧を作成しました。全米各地から収集した民族学コレクション171の一覧です。170は先住民族の部族に属し、1つはどこにも属さないものです。171のうち116については1996年12月31日までに目録ができ、40は2か月後に完成し、4つはかなり遅れてでき上がりました。博物館はこれらの情報を関係がありそうな先住民族集団に提供しました。

 自然史博物館は、形質人類学・考古学の目録を64作成しました。13はアラスカ州、1つはコロンビア州、1つは特定集団と結びつきがないものです。この目録には16,000のカタログが含まれます。3,000カタログは祭祀用具類です。自然史博物館は1998年6月1日までに目録を作成しました。

 両博物館は、法定期限までに一覧と目録を作成しましたが、この過程で、アメリカ・インディアン博物館法に照らして問題点が浮き彫りになりました。第1に、目録作成に当たって、伝統的先住民族の宗教指導者や自治政府とどのように協議・協力するかです。法はスミソニアン事務局に伝統的先住民族の宗教指導者や自治政府と協議・協力して博物館所蔵の遺骨や祭祀用具類の目録を作成するよう命じています。しかし、スミソニアン博物館は、両博物館から目録が送付された後に、先住民族集団との協議を始めました。第2に、自然史博物館の目録が地理的文化的関連をどの程度特定したかです。博物館の電子データで容易に地理的文化的関連を特定できた場合は良いのですが、記録に基づいて特定することのできない場合がありました。このため目録は暫定的なものにならざるをえません。

 スミソニアン事務局の見解では、法律は目録が完成するよりも前に協議を行うことを要求していません。1996年法改正によって目録の定義が示されましたが、協議の必要性はあるものの、科学的歴史的手法により遺骨の出自を特定することもあり得ます。第2に、スミソニアン事務局によると、法律は目録完成の期限に間に合わせるために具体的にどのような方法を採用するかをスミソニアン博物館に委ねたと言います。スミソニアン事務局によると、両博物館は相互チェックを行っていません。

 スミソニアン事務局の見解では、スミソニアン事務局は、法律第11条が目録作成と同一性特定を同時に行うべきとは述べていると解釈していませんので、2段階過程を採用しました。第1ステップでは遺骨及び祭祀用具の詳細な目録を作成します。第2ステップにおいて、返還事例報告を準備します。ここで、博物館は先住民族集団と協議を行い、重要情報の検討を行います。博物館が作成する事例報告には、文化的関係の判定や返還に関する勧告が含まれます。両博物館が第2ステップに入ったのは、目録情報に基づいて先住民族集団が返還要求を出した後になりました。

 第11条の解釈は、1996年法改正の立法過程からは明確にはなりません。立法記録によると、法改正は当時のスミソニアン事務局の実務運営に合わせたものです。1996年改正はスミソニアン事務局が採用した2段階ステップを正当化するものです。しかし、法改正の意図の一つは、遺骨等の目録、特定、返還の要求が適切に履行されるようにすることでした。

 なお、アメリカ・インディアンは差別的呼称ではないかとの指摘があります。アメリカ・インディアン、ネイティヴ・アメリカン等をめぐってかなり複雑な議論がありますが、本稿では法律及び博物館の固有名からアメリカ・インディアン博物館(法)を用いています。いずれの呼称を用いるにせよ、先住民族の権利の視点から考えることが不可欠です。
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