2018年06月22日 1531号

【沖縄恨(ハン)之碑の会総会に参加 金城実さん「チビチリガマ」講演に 地域の平和力を学ぶ】

 5月26日、那覇市内で開かれた「沖縄恨(ハン)之碑の会」総会に行ってきました。「恨之碑」とは、沖縄戦に朝鮮人軍夫として強制動員された姜仁昌(カンインチャン)さんと徐正福(ソジョンボク)さんの呼びかけに韓国、沖縄をはじめ日本各地の人びとが応え、韓国英陽(ヨンヤン)(1999年)と沖縄・読谷村(よみたんそん)(2006年)に建立されたものです。

 幸い、お二人は生きて帰郷できましたが、多くの朝鮮人軍夫は、「スパイ容疑」や「軍機違犯」の名で処刑され、帰郷することがかないませんでした。これらの同胞を偲び、「沖縄戦の実相をアジアの視点から深め、歴史の教訓を後世に語り継ぎ平和な沖縄・アジアをつくり上げる」ために、今も、活動しているのが「沖縄恨之碑の会」です。

 ところで、韓国・朝鮮語の「恨(ハン)」とは日本語の「うらみ」とは違い、忘れられない、忘れてはならない心の「しこり」のようなものといいます。日本語の「恨み」は晴らすもので、韓国・朝鮮語の「恨(ハン)」は解くものだとか。

破壊事件とその後

 総会に先立ち、碑の製作者である彫刻家の金城実さんによる「済州(チェジュ)4・3事件とチビチリガマ」の講演がありました。講演内容は深く多岐にわたるものでしたが、私なりの理解を含め一部を紹介します。

―沖縄戦の悲劇を描く映画として『ひめゆりの塔』などが有名だが、それはエリートたちの悲劇を描いたもので民衆の悲劇とは異なる。沖縄民衆の悲劇とは、エリートたちが道を誤ったとき、民衆がそれを見抜けなかったことにある。そういう力を民衆がつけていく必要がある。

 チビチリガマでは、民衆が民衆に手を下すことでだれに責任があるのか判らなくされ、本当の責任者が責任を取らない。それは、現代も続いている。(講演前にたまたまお会いした場で、金城さんは、日大アメフト部の事件も然<しか>り、と指摘していた)

 沖縄戦で集団強制死に追いやられて亡くなっていった方々の遺骨や遺品がそのまま残されているチビチリガマ。昨年9月、そのガマに肝試しに≠ニ若者が入り遺品などを破壊した事件が起きた。私は、その若者らの「指導」にあたることになった。

 若者はチビチリガマで何が起きたのか、と遺族と向き合い、野仏を製作することに。「反省文は1つで充分、チビチリガマでなにがあったか深く知ることが大事」。この若者が自ら申し出たのも、地域全体が「大変なことになった」と大騒ぎになり、自分がやったことの重大性に気づかされたからだという。―

 金城さんは地域の青年の平和力に依拠し、チビチリガマの実相をこの若者に深く分からせることで、彼とつながる地域の青年の平和力をさらに深めようとしたわけです。このような金城さんのかかわり方を、私たちも見習わなくてはならないと思いました。

 「恨之碑の会」が呼びかける「恨之碑追悼会」は、6月16日読谷村文化センターで開催されます。

(大阪・寝屋川市 福井朗)

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