2018年06月29日 1532号

【非国民がやってきた!(284) 土人の時代(35)】

 スミソニアン博物館は1993年に調査を始め、目録を作成して以後、アメリカ・インディアン博物館及び自然史博物館の所蔵であった先住民族の遺骨や祭祀類を返還してきました。

 しかし、返還作業が順調に進んだわけではありません。むしろ、その遅延が指摘されてきました。スミソニアン事務局は4つの理由をあげています。

 第1に、職員が限られており、配置転換等で職員が異動します。アメリカ・インディアン博物館は小規模であり、職員の異動や休暇があるため、作業が進展しません。自然史博物館は返還準備を担当する職員が限られ、返還要求に間に合わせることができません。

 第2に、情報が複雑であり、限定的です。返還担当職員によると、スミソニアン博物館所蔵品の記録が錯綜しており、限定的です。自然史博物館によると、19世紀や20世紀初期の考古学の発掘は、その場所の記録でさえ不完全です。自然史博物館と他の博物館の間で移管された所蔵品もあり、その際に出自の記録が失われたものもあります。アメリカ・インディアン博物館所蔵の遺骨には出自が不明のものがあります。

 第3に、部族の側の困難です。部族側に返還作業のための財源がありません。自然史博物館職員が部族に十分に手を差し伸べることができません。2003〜2010年にかけて、部族連絡担当を置くようにとの勧告がなされましたが、担当職員と部族が積極的な関係を構築すれば、連絡担当は必要ありません。

 第4に、アメリカ・インディアン博物館のデータ管理が弱体です。アメリカ・インディアン博物館にはもともと集中的に管理されたファイルがありません。職員がそれぞれの担当部門のファイルを保有していたため返還作業に困難をきたしました。2011年1月、アメリカ・インディアン博物館は新しい管理システムを採用して、返還作業を組織化し、追跡できるようにしました。

 返還の遅延に関して、もう一つの困難がありました。アメリカ・インディアン博物館法の規定にもかかわらず、返還委員会が監視したのは自然史博物館だけだったからです。スミソニアン事務局によると、同法の対象は、1989年に法律が採択された時点でスミソニアンが保有していた所蔵品だけです。当時、対象所蔵品は自然史博物館だけが保有していました。同法12条はヘイ・コレクション(ニューヨークの富豪ヘイによる先住民コレクション)を対象としていません。その後、ヘイ・コレクションがスミソニアンに移管されました。それ以前、スミソニアンはヘイ・コレクションに遺骨が含まれるか否かを知りませんでした。同法制定の1989年当時、アメリカ・インディアン博物館は存在しませんでした。返還委員会が活動を開始した時点にもアメリカ・インディアン博物館は存在しませんでした。

 アメリカ政府・説明責任局の報告書によると、遺骨返還が実現していないのはスミソニアン側だけでなく、さらに次の理由があります。第1に、財源が不十分のため返還に要する経費が足りません。第2に、文化的理由として、当該遺骨と由縁のある部族メンバーが死亡している場合、引き取りが困難です。第3に、部族代表政府のメンバーがすっかり入れ替わっている場合です。第4に、同一の所蔵品が複数の部族に関連がある場合、部族間の調整に時間を要します。第5に、遺骨等が危険な害虫駆除剤に汚染されている可能性があります。アメリカ・インディアン博物館は害虫駆除剤検査の技術を持っていませんでした。

 以上の諸事情から、アメリカ・インディアン博物館は所蔵品の保有を続けています。アメリカ・インディアン博物館は、ある部族が反対しなければ、他の部族に返還することも含めて検討しています。

 アメリカ政府・説明責任局の報告書は、結論として、スミソニアンが数千の遺骨を特定し、返還したことを評価していますが、そのプロセスに時間がかかりすぎていると言います。スミソニアンが採用した方法は法律12条に十分合致しているとは言えません。法律はスミソニアン全体に管轄を及ぼしているので、自然史博物館だけでなく、すべての所蔵品を返還すべきだとしています。
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