2018年07月13日 1534号

【福島第2原発廃炉/福島県内全基廃炉実現/柏崎刈羽再稼働を狙う東電】

 東京電力の小早川智明社長が6月14日、突然福島県庁を訪れ、福島第2原発(富岡町、楢葉町)の全基廃炉を内堀雅雄福島県知事に表明した。これで福島県内の原発は全基廃炉が決まったことになる。

  福島県内全基廃炉を求める決議は、県議会はもちろん、福島県内59の市町村議会すべてで採択されていた。県議会では自民党会派も含めた全会一致の採択である。「復興」の進め方や帰還強要政策に避難者をはじめ厳しい批判がある内堀知事も、福島第2原発の廃炉に関しては再三、東電に要求してきた。脱原発は200万福島県民の総意であり、今回の廃炉表明は遅すぎる。

新潟知事選の直後

 これまで、福島第2原発の廃炉について、決して言質を与えないよう振る舞ってきた東電がここに来て急に廃炉表明をした背景に何があるのか。メディアでも、与党支持候補が野党統一候補を破って当選した新潟県知事選(6/10投開票)の影響という見方が有力だ。

 新潟県では2002年、柏崎刈羽原発に亀裂が入るトラブルがあったにもかかわらず東電が隠蔽したことを契機に「原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」が発足。2007年の新潟県中越地震では柏崎刈羽原発で火災が発生、長期間停止が続いてきた。2009年に再稼働したものの、東日本大震災で再び停止。泉田芳彦知事(当時)が「柏崎刈羽原発の再稼働には福島原発事故の検証が必要」として当面、再稼働を認めない姿勢に転じた。今年1月には、米山隆一前知事の下で、(1)福島第1原発の事故原因(2)原発事故が健康と生活に及ぼす影響(3)万一原発事故が起こった場合の安全な避難方法ーーの「3つの検証」を行うため、県に「原子力発電所事故に関する検証総括委員会」が設置。本格的な検証作業が始まる矢先の米山前知事辞任だった。

 今回当選した花角英世新知事は「当面は米山前知事が目指した福島第1原発事故後の『検証』を引き継ぐ」と表明したが、知事選翌日の東電株価は一時、8・8%も急上昇した。原発再稼働とそれに伴う電気料金引き下げ、東電の利益増大を期待する思惑からだ。新知事の言葉が真意でないことは株式市場にさえ見透かされている。

反原発運動の成果

 「柏崎刈羽原発を安心して再稼働できる条件が整ったから、もう福島第2を無理して動かす必要はない」ーこれが今回廃炉を表明した東電の本音だといわれる。新潟県の動向次第では福島第2の再稼働も東電の選択肢にあったことが図らずも露呈した形だ。

 だが花角知事も、根強い反原発世論を前に選挙戦では再稼働に「慎重」な姿勢を見せざるを得なかった。県民に公約した以上「3つの検証」を徹底し、廃炉を決断すべきだ。

 福島第2原発のうち最も古い1号機の運転開始が1982年で、まもなく40年を迎えることも廃炉決断の背景にある。事故を起こした東電による被災県での老朽原発の運転延長を許さず廃炉に追い込んだのは、県内はじめ日本と世界の根強い反原発世論の影響であり闘いの勝利だ。福島県内原発全基廃炉が実現した意義は大きい。

福島第2、地元の惨状

 福島第2原発地元の楢葉町、富岡町のうち帰還困難区域以外の場所は避難指示が解除となり、富岡町では1`c当たり8000ベクレルを超え10万ベクレルまでの「指定廃棄物」処理施設が2017年11月に稼働した。処理といっても単なる埋め立てであり、土の汚染度を下げる技術が開発されたわけではない。今後も汚染廃棄物との長い闘いが続く。

 富岡町のすぐ北に人の住めない帰還困難区域があるのに、わざわざ人の住んでいる場所に最終処分場が作られたのは、もともとそこが民間の産廃処理場で用地取得が楽だったからにすぎない。この結果、富岡町民は、すぐ北に位置する福島第1原発と、南に位置するこの最終処分場に挟まれての生活を強いられている。

 楢葉町では、避難指示が解除されて1年半経った2017年3月の時点でも、町の全人口の1割、818人しか帰還していない。除染作業員は約1500人が働いており、帰還した住民の約2倍に上る状況だ。「処分場が建ったからもう帰らない」という避難住民も多い。原発事故は、高濃度の放射能汚染を引き起こし、健康被害を受けなかった地域にもさまざまな影響を与える。

 内堀知事は県外の原発については口を閉ざし、廃炉の要求もしない。福島県民と連帯し、被災県の知事として世界中の原発廃炉を訴えるよう働きかけなければならない。





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