2018年08月03日 1537号

【新聞読まないは自民支持?/批判や対立を忌避する若者世代/安倍「延命」の背景にコミュ力信仰】

 安倍政権がまだ続いている。この間、政権を揺るがす問題が相次いで発覚し、安倍晋三首相は厳しい批判にさらされた。それでも「ギブアップ」を免れたのは、頼みの内閣支持率が一定以下には下がらなかったからである。この現象をどうみればいいのか。麻生太郎副総理の「新聞を読まない人は全部自民」発言をヒントに考えてみたい。

麻生発言に根拠あり

 自民党は昔と違い、若い有権者層の支持が高い―。麻生副総理兼財務相は6月24日に行った講演で最近の選挙傾向についてこう語り、次のように続けた。

 「10代〜30代前半というのは、一番、新聞を読まない世代です。新聞を読まない人たちは全部、自民党(支持)なんだ。新聞とるのに協力なんかしないほうがいい。新聞販売店の人に悪いけど、つくづくそう思いましたよ」

 発言の真意は何か。「俺たちの支持者は新聞なんて読まないぜ」という反知性主義宣言なのか。いや、安倍政権に批判的な報道への、ただの恨みつらみであろう。トランプ米大統領と同じで、自分の意に沿わないメディアを「フェイクニュース」よばわりしたかったのだ。

 ただし、麻生は口からでまかせを言ってはいない。それなりの根拠にもとづいている。たとえば、若年層における自民党の絶対支持率は決して高くないが(「支持政党なし」がダントツ)、選挙になると自民党に投票する人が多いのは事実である。

 麻生が言うように、昨年の衆院選がそうだった。NHKの出口調査によると、自民党に投票した人の割合が最も高かったのは20代で、50%に達した。次に高かったのは18〜19歳で47%。30代でも42%を記録した。ちなみに最も低いのは60代で、32%だった。

 新聞の件はどうか。「平日1日に新聞を読む時間」を世代別にみてみよう(総務省・情報通信政策研究所の調査報告書より)。50代が14・4分、60代が25・8分だったのに対し、10代は何と0・3分。20代1・4分、30代3・8分だった。この世代の新聞離れは確かに著しいものがある。

 新聞を読まない人は自民支持なのか。それは確かめようがない。しかし、新聞読者が少ない若者世代が、積極的な支持ではないとはいえ、選挙になると自民党を選ぶ傾向にあるのは本当だ。知りたいのはその理由である。

野党ぎらいと同じか

 日本共産党の小池晃書記局長は「新聞を読んで真実が伝われば自民党支持にならないというのは、ある意味でその通りだ」と、麻生発言を皮肉った(6/25時事)。若者は政治・経済に疎いから自民党支持になるという指摘だ。

 間違いではあるまい。しかし別の見方も可能だ。「若者は政府批判を好まない。だから新聞離れが起きているのではないか」と。成蹊大の野口雅弘教授が興味深い論考を発表しているので紹介したい。野党の支持率が若者たちの間で絶望的に低いのは、「コミュ力(りょく)」を過剰に重視する現代の風潮と関係している、というのである(7/13付現代ビジネス配信記事)。

 「コミュ力」とはコミュニケーション能力のこと。今の若者は物心がついたときから「コミュ力」が強調されてきた世代である。実際、大学入試や企業・公務員の就職試験の際に、グループ・ディスカッションなどの形式で評価される。つまりこれは、支配層が求める能力なのだ。

 「コミュ力」の測定基準は、意見の違いからくる気まずい雰囲気を巧妙に避け、その場の空気を読んで会話を円滑に回すことである。したがって、「コミュ力」が賞賛される世界では、批判や対立を作り出す「野党」的な振る舞いは嫌悪の対象となると、野口教授は指摘する。

 なぜなら「野党がその性質上行わざるをえない、いま流れているスムーズな『空気』を相対化したり、それに疑問を呈したり、あるいはそれをひっくり返したりする振舞いは、『コミュ力』のユートピアでは『コミュ障』とされてしまいかねない」からだ。

 批判や追及はダメ、議論の前提を疑ってはいけない、物理的抵抗などもってのほか…。このような思考パターンに染まると、たしかに「野党」的な存在を毛嫌いするようになるだろう。報道の場合、政府批判を「文句ばかり言って」としか受け取れなくなる。

 「コミュ力」重視の風潮が作り出されてきた理由はもう明らかだ。支配層にとって都合のいい体制順応人間を大量生産するためである。若い世代ほど、この支配イデオロギーに毒されている。彼らが「何でも反対」と野党を嫌い、安倍自民党を選んでしまう理由は、このように説明できるのではないだろうか。

仲間は必ずいる

 これだけ生きづらい世の中だ。今の若者たちが社会のあり方に不満を感じていないはずがない。批判精神が消滅したわけでもない。ただ、支配者の価値観を内面化してしまい、声を上げられなくなっている。「意識高い系」などと揶揄されることを、過剰に恐れてしまうのだ。

 ではどうすればいいのか。ベタな回答になるが、仲間を見つけ、つながることが第一歩であろう。「不正」に満ちた現実に憤り、何とかしなければならないと感じている人、行動している人は大勢いる。ネット上のつながりもいいが、リアルな世界で変革を実践する仲間を見つけたい。

 もちろん、「不正」をただすには、その仕組みを見抜く知識や理論が欠かせない。やはり新聞は読むべきなのだ。特に『週刊MDS』は(最後は宣伝でした)。  (M)



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