2018年08月17日 1539号

【未来への責任(255)植民地歴史博物館 建設基金寄贈式】

 6月8日から3日間、植民地歴史博物館がオープン間近ということで、建設基金寄贈式に招かれた。博物館は、ソウル駅から地下鉄4号線で1駅の淑大入口(スクテイプク)駅下車。徒歩で7〜8分。民族問題研究所や太平洋戦争被害者補償推進協議会が入っているビル内にある。

 ビルの周囲にも、日本の植民地支配の歴史が見られる。博物館から西方向へ徒歩5分、孝昌(ヒョチャン)公園がある。ここはもともと朝鮮22代王たちの墓があったところだが、日本軍が公園に作り変えてしまった。光復(独立)後、金九(キムグ)がここに整備したのが、植民地支配中に樹立した「韓国臨時政府」の主人公、「李奉昌(イボンチャン)」「尹奉吉(ユンボンギル)」「白貞基(ペクチョンギ)」の墓で、まだ遺骨は入っていないが、「安重根(アンジュングン)」の墓も用意されている。

 ビルに入って、スタッフの野木さんと姜(カン)ドンミンさんから説明を受けた。1階の玄関にはオープンに向けて多く募金してくれた方の名前を彫るそうだ。玄関を入ってすぐ、100人くらいが集会できそうなホールはキッチンも備わり、自由で開放的な空間になっている。推進協議会共同代表の李煕子(イヒジャ)さんが言っていたキムチ作り教室もできそうだ。

 建設基金寄贈式典はそのホールで行われた。日本側の賛同者から寄せられた1034万5千円の基金を「つなぐ会」代表の徐勝(ソスン)さんと庵迫(あんざこ)由香さんから贈呈。韓国建設委員会の李離和(イイファ)委員長が「植民地歴史博物館のキーワードである人権・平和・未来をテーマに日韓市民が交流し、未来につなげていく空間にしたい」とあいさつした。ヒジャさんは協議会の歴史を振り返り、「活動の痕跡である資料が散逸して捨てられてしまう心配がなくなった」と胸中を語っていた。

 式典後に、博物館2階の常設展示を見学した。これまで韓国内や日本から収集してきた貴重な植民地支配下での品々が展示されていた。治安維持法での検察資料なども展示されている。本来なら、日本人が他国で何をやったのかを日本国内で展示すべき品々である。2階フロアすべてを常設展示に使い、映像なども交えて小学生にもわかりやすい工夫がなされている。今後、テーマを定めて展示内容に変化を加えていくという。

 野木さんが私に「ヒジャさんへの贈呈式をしてください」と言う。先日東京でこの式典に合わせて、GUNGUN裁判の横断幕をヒジャさんに寄贈したのだった。2003年の追加提訴の際に九州の岡添さんから贈られた黄色の「靖国合祀やめて!遺骨を返して!」という横断幕は、当時の新聞一面を飾った。その後も不当判決の際などで原告の背景にあったものだ。今後もGUNGUN裁判や『あんにょん・サヨナラ』の資料など整理して寄贈したい。

 博物館お披露目の後は、推進協議会の皆さんが準備してくれた夕食会。ビュッフェ形式でおいしい料理を食べながら交流を深めた。博物館は8月29日正式にオープンする。龍山(ヨンサン)・南山(ナムサン)エリアへのフィールドワークとあわせて、積極的に活用していきたい。

(在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会 古川雅基)

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