2018年08月17日 1539号

【どくしょ室/よみがえる戦時体制 治安体制の歴史と現在/荻野富士夫著 集英社新書 本体880円+税/新たな「戦争準備」に抗するために】

 現代の治安維持法と言われる共謀罪法の施行から1年が経過した。本書では、戦前、戦後の治安体制の歴史をふりかえり、共謀罪法が成立した現在を「新たな戦時体制形成の最終段階」と規定している。

 戦前、天皇制国家という「国体」を護持するために、治安立法が作られてきた。ロシア革命以後、社会主義に対する警戒が強まり、1925年に治安維持法が成立する。「国体」を否定する共産主義者とみなされた者は「思想犯」とよばれ、特高警察が検挙した。

 1930年代後半以降、戦時体制にはいると、検挙対象は「反・非『国体』的」とされる宗教団体などに拡大していった。特高警察とともに思想犯を専門にあつかう思想検察が作られ、司法面で治安体制をリードした。さらには日中戦争の直前1937年に軍機(軍事機密)保護法が改正され、軍の憲兵隊が反軍思想の取り締まりを強化することになる。治安体制は「社会運動の監視から社会それ自体の監視へ」の段階となり、戦争へ国民を総動員する体制が完成したのである。

 日本の敗戦により、戦前の治安体制はいったん解体され、特高警察などの要職者は公職追放となった。しかし、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策転換により、追放を解除された者が戦後の治安体制を復活させる。治安維持法の立役者と呼ばれた思想検事の池田克は、反省もなく最高裁判事となる。元特高課長の田中義男は文部省に入り、教員の政治活動規制の中心となった。さらに元憲兵の一部は公安調査庁や防衛庁に入り幹部となった。

 こうして、戦後の治安体制は、戦前の体制を支えた人物によって復活したのである。戦後の治安理念として「公共の安全」が名目とされるが、冷戦を背景に労働運動や社会主義運動を捜査対象とする「公安警察」「公安検察」が創設された。1952年には治安立法として破壊活動防止法が制定され、各自治体において公安条例が作られた。もっともこの時点での治安体制は「戦時体制作り」が直接の目的ではなかった。

 筆者は、1980年代に「シーレーン防衛論」が浮上してきたことを「富国強兵」路線の復活と指摘。90年代以降、「積極的平和主義」の名の下で自衛隊の海外派遣が拡大するとともに、治安体制が厳重化したと分析する。

 第一次安倍政権での教育基本法改悪をステップに、第二次安倍政権は、集団的自衛権容認の解釈改憲から戦争法制定の過程と並行して特定秘密保護法と共謀罪法を強行成立させるに至った。かつてのような「社会それ自体の監視」、すなわち「新たな戦時体制形成の最終段階」に入ったのだ。

 現在は戦争の時代を阻む正念場である。改憲阻止、戦争法廃止とともに、治安立法廃止を求めることが問われている。   (N)
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