2018年09月14日 1542号

【「戦争責任いわれる」と昭和天皇/無責任ニッポンの象徴】

 「辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり」「兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」――。昭和天皇が死の1年9か月前、このような心情を吐露していたことが元侍従の日記で明らかになった。

 メディアはこの新発見を大きく報道。「昭和天皇が晩年まで戦争責任をめぐって苦悩していた様子が、改めて浮かび上がった」(8/24朝日)などと論評した。いやいや、そうじゃないでしょ。アジア・太平洋戦争の被害者に対し、昭和天皇が責任を感じていたとは思えない。なぜなら、戦争責任に関し過去にこんな発言をしているからだ。

 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」。これは訪米から帰国後の記者会見(1975年10月)で質問された際の回答だ。同じ会見でこんなことも言った。「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」

 一般市民がいくら犠牲になっても、戦争だから仕方ないというわけだ。元侍従の日記によると、昭和天皇はこの記者会見の「世評」をずいぶん気にしていたらしい。本音を言いすぎたと後悔していたのだろう。

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 いわゆる「ご聖断」伝説(国民を救うために戦争終結を決断した)も大ウソである。昭和天皇が固執した「国体護持」とは、「『万世一系』の皇室を自分の代で終わりにしてはならないということであり、国民の生命を救うのは二の次であった」(原武史著『昭和天皇』/岩波新書)

 事実、戦後に作成された「独白録」では「講和」に方針転換した動機を次のように語っている。“米軍が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮はただちに制圧下に入り、「三種の神器」を護持できない”と。

 国民よりも怪しげな物体の行方が心配とは…。あまりの人命軽視に腹が立ってしかたがない。天皇が天皇なら側近も側近だ。戦争責任についてグチをこぼす昭和天皇を侍従はこう言って励ましたという。

 「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」

 ふざけんじゃないよ、まったく。「国体護持」とやらのために、どれだけ多くの人が命を失い、心身に深い傷を負ったというのか。経済発展などで忘れられるはずがない。そもそも、侵略や植民地支配の犠牲になったアジア民衆の存在が念頭から抜け落ちている。

 かつての大元帥・昭和天皇を筆頭に、支配層が戦争責任に頬かむりし続けた戦後日本。なるほど、安倍晋三のような歴史修正主義者がのさばるわけだ。(O)

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