2018年11月09日 1550号

【非国民がやってきた!(293) 土人の時代(44)】

 これまでアメリカ、イギリス、オーストラリアの先住民族遺骨返還の状況を紹介してきました。今回からカナダの状況を紹介します。

 2007年に国連総会が先住民族権利宣言を採択した際、反対投票したのはアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダでした。いずれも国内に多数の先住民族を抱えています。もともと先住民族の大地に入植して、土地を奪って建国した国です。先住民族権利宣言が土地や資源に対する先住民族の権利を掲げたために、この4カ国は宣言に反対しました。ただし、カナダはその後姿勢を改めて、先住民族権利宣言に前向きにコミットすることになりました。

 なお、日本政府は宣言に賛成投票し、2008年にはアイヌ民族を先住民族と認めました。しかし、その後の政策ではアイヌ民族の権利をなかなか認めようとしませんし、琉球民族を先住民族と認めていません。

 ステファニー・スコットによると、先住民族遺骨の返還は各国で今日なお論争的なテーマとなっていますが、カナダの博物館ではもはや論争が行われていません。収集品について「脱植民地化」を行うことは博物館等の義務となっています。返還を行うべきことについては北アメリカの博物館においては承認されていますが、どのような返還がベストであるかについては未決定の状態です。そこでスコットはカナダにおける先住民族遺骨返還の現状について調査を行いました。

 長い議論の結果、カナダのほとんどの博物館は先住民族遺骨返還に同意していますが、返還が先住民族集団にも施設にとっても有益であることを受容していない施設もあります。先住民族、ファースト・ネイションズ、イヌイットへの返還に同意してはいますが、渋々承知したレベルです。施設側だけでなく、先住民族集団の側も必ずしも積極的ではありません。

 財政不足や、返還手続きが明確でないことなどの要因によります。とはいえ、可能ならば返還すべきだということには共通了解があります。

 スコットによると、カナダには過去に収集された遺骨の返還に関する法律はありません。多くの博物館は1992年に「博物館とファースト・ネイションズに関するタスク・フォース」等が定めたガイドラインに従っています。

 スコットは15世紀以来の植民地化の歴史を素描したうえで、先住民族の周縁化、その帰結としての差別状況を確認し、1960年代のカナダにおける人権法の発展によって先住民族に対するステレオタイプが徐々に薄らいできたことを指摘します。先住民族は自分たちの遺産を学び直し始めました。1970年代には先住民族が人類学者と協働して、人類学の見直しが始まりました。考古学や人類学の見直しが遺骨返還への第1のステップとなりました。1980年代、返還要求と博物館の脱植民地化要求が増加しました。1980年代、人類学者たちは将来の研究のために遺骨が必要であると考え、返還に応じようとしませんでした。

 しかし、アメリカの議論がカナダに影響を与えるようになります。1989年に、アメリカでは返還に向けたスミソニアン博物館(アメリカ・インディアン国立博物館)に関する法律が制定されました。1996年には法改正がなされて、祭祀に関連する用具の返還も始まりました。アメリカの経験を踏まえて、イギリスでもオーストラリアでも植民地主義への反省が始まりました。

 カナダの文化はアメリカ文化と密接なつながりがあるため、アメリカの影響が及んできました。1980年代にカナダの博物館も考えを改めるようになりました。ただ、アメリカは法律を制定したのに対して、カナダは法律によらずに、フレキシブルに対応しています。

 すでに前例として、1967年に、ブリティッシュコロンビア州のクワキュトル民族は、1885年から1951年の間に連邦政府が収集した用具等の返還を要求しました。遺骨に焦点を当てたわけではありません。大半の収集品がマン博物館(現在の文明博物館)及び王立オンタリオ博物館にありました。長い議論と交渉の結果、1980年代、クワキュトルの博物館を設置して、マン博物館から返還された収集品を保管することになりました。王立オンタリオ博物館は1987年までこれに同意しませんでした。

<参考文献>
Stephanie Scott, Perceptions of Repatriation: An anthropological examination of the meaning behind repatriating human rights in Canada. Waterloo, 2013.
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