2018年11月09日 1550号

【コラム見・聞・感/原発事故被害から目を背ける学者とメディア】

 放射能の被害や不安を口にするだけで白眼視される福島の重苦しい空気を象徴するような出来事がこの夏、福島市で起きた。芸術家、ヤノベケンジ氏制作の子どもの像「サン・チャイルド」が「市民からの苦情」を理由に撤去されることになったのだ。

 サン・チャイルドは、ヤノベ氏が福島原発事故を受けて製作し、福島に寄贈した芸術作品で、防護服を着た子どもの像だ。胸に線量計が付けられており、数値が「000」となっている。当初、福島空港の展示では批判はなかった。福島空港は利用者も少なく、誰も気にしていなかったのだ。

 ところが、多くの県民が目にする「福島市子どもの夢を育む施設こむこむ館」前に移設されると、サン・チャイルドは「自然界にも放射線はあり、ゼロなどというのは科学的にあり得ない」「風評被害を助長する」などの激しい攻撃を受けるようになった。

 自然放射線を持ち出して「福島は安全」と言い募るのは、原発事故発生以来「御用」側が使ってきた常套手段だ。「風評被害」という単語も、放射能の健康被害を真剣に心配する人たちは絶対に使わない。すぐに怪しいと思い、これらの言説を流している人物が誰か探ると、案の定、札付きの「ワル」揃いだった。

 大阪大教員の菊池誠は、原発事故直後からツイッターなどで「避難の必要はないのになぜするのか」などと執拗に絡み続け、区域外避難者からは蛇蝎(だかつ)のように嫌われている。フリージャーナリスト林智裕は「福島に関する誤ったデマを正し、正確な知識を普及する」などと上から目線でご高説(という名のフェイクニュース)を垂れ流す「社会学者」開沼博のオトモダチだ。

 芸術作品に求められるのは自由でユニークな発想であり科学的正確性ではない。ムンクの「叫び」には顔がなく科学的正確性に欠ける、などと批判していたらどんな芸術も育たない。「放射能の心配のない福島になってほしい」との思いをこの作品に込めたヤノベ氏の発想は理解できる。

 この程度の表現の自由すら風評被害を理由に圧殺する福島の「風評ファシズム」はとどまるところを知らない。福島民報、福島民友の地元2紙も同様で、「復興」にマイナスになることは徹底無視して菊池や開沼に加担している。

 各地の原発訴訟を支援する原発被災者弁護団。その引用記事に河北新報(宮城県紙)が多く、地元2紙が少ないことに気付いた地元月刊誌「政経東北」は2紙が原発事故から目を背けていると批判した。足元からも厳しい批判を受ける福島の地元紙は報道姿勢を改めるべきだ。 (水樹平和)
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