2018年11月16日 1551号

【未来への責任(261)法廷を包む植民地支配批判】

 10月23日、東京地裁103号法廷で、韓国人の靖国神社合祀取消を求めるノー!ハプサ(NO!合祀)第20回口頭弁論が行われた。採用された二人の証人尋問、午前中は東北アジア歴史財団の南相九(ナムサング)さん。靖国問題の研究者である。

 南さんは、小渕首相(当時)と韓国の金大中(キムデジュン)大統領の間で交わされた「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」(1998年)を取り上げ、「宣言は日本の植民地支配に対し、痛切な反省と心からのお詫びを明らかにしたもので、歴代内閣に引き継がれている。しかし靖国神社は、侵略戦争を大東亜解放の戦争と美化し、植民地支配を正当化している」と批判した。神社内にある遊就館の展示で、戦後の植民地支配からの解放について朝鮮半島と台湾を除いていることを指摘し「日本の植民地支配を肯定している」。「靖国神社にはA級戦犯だけでなく、植民地化・侵略に抵抗した民衆を『暴徒』と呼び1万7千人以上を虐殺した日本軍・警察らも『英霊』として合祀している」と述べた。

 祖父や父らを殺した加害者とともに合祀されていることに、南さんは「(韓国での徴兵の経験から)軍隊では個人がいかに無力であるかわかった。間違ったことを間違ったと言えない。戦争賛美ではなく、現平和憲法をアジアに広げていくことが必要」と力強く訴えた。

 午後は、太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表の李熙子(イヒジャ)さんが証言台に立ち、自らの経験・活動とともに遺族全体の「恨」(ハン)を明らかにした。「合祀は重大な人権侵害であり、遺族に不名誉と耐えがたい苦痛をもたらしている」と声を詰まらせた。強制動員された父が帰らないまま、言い尽くせぬ苦労を重ねた李さんは小学校4年までしか行けなかった。そして韓国が民主化されて、これまでできなかった父探しが始まった。日本政府からの死亡通知はなく、遺族自身が苦労して探さざるをえなかった。李さんは、初めて日本軍「慰安婦」として名乗り出た金学順(キムハクスン)さん(97年死去)とは長い付き合いの間柄だ。「日本政府は金さんに対し『自分で証明しろ』と横暴な態度だった。怒りとともに私も(父親は)自分で探さなければ無理だと思った」という。

 2000年に推進協議会が結成され、日本政府や企業を相手にした訴訟や韓国での強制動員被害者真相究明法の成立に中心的役割を果たした。

 李さんは「日本人だから合祀する、でも日本人でないから援護法の対象としない。これは国・靖国神社の卑劣な差別的対応だ」と批判した。「私たちの『恨』は日本でしか解決できない。私たちの苦痛を終わらせることができるのは日本だけである」と声を震わせながら最後の陳述を終えた。

 10月30日、韓国大法院は日本の植民地支配を断罪し、強制労働させられた元徴用工の訴えを認めた。断罪された植民地支配だが、しかし今日、靖国神社ではまだ続いている。

(ノー!ハプサ 御園生光治)

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