2018年11月30日 1553号

【原発避難の今を知る/東京・武蔵野市のお寺で集い】

 福島原発事故から7年8か月。都内各地で、避難者の現状を知るお話し会などが取り組まれ、「フクシマはまだ終わっていない」「私たちに何かできないか」と支援継続を求める声が上がっている。11月6日、武蔵野市で「フクシマを思う実行委員会」が開いた集いもその一つ。会場となったお寺の本堂で130人の市民が当事者の訴えに耳を傾けた。

 実行委員の金子あいさん(俳優)は「『華氏119』でマイケル・ムーア監督は『トランプとその支持者がアメリカをおかしくしたのではなく、アメリカがおかしくなったから彼らが活躍できるようになった。日本も同じだ』と警告した。福島を風化させようとする者の正体を、目を凝らして見定めなければならない」とあいさつ。

 当事者として、葛尾村(区域内)から避難した「キビタキの会」小島ヤス子会長と田村市(区域外)から避難した「原発避難者住宅裁判を準備する会」熊本美彌子代表が話した。以下、二人の発言を紹介する。

除染しても家に帰れない―小島さん

 葛尾村は山に囲まれ、70%が森林。春は山菜、きのこ、ゼンマイなど豊富に採れた。秋には実のなる果物がいっぱい。自宅の畑で野菜も作った。だから、買ったことはない。女性たちはフラダンスや社交ダンスを楽しみにして集まり、登山の会を作ってほうぼうの山に出かけた。

 それが、原発放射能のおかげでみんなちりぢりバラバラになってしまった。避難指示は解除されたが、帰った者はわずか1割にも満たない。お年寄りばかりで、小中学生は十数名だ。私の家(うち)も除染はしても山から放射能が落ちてきて線量は変わらない。村にはもう帰れないが、県内には戻りたい。

 キビタキの会の区域外避難者の仲間たちは、住宅提供は打ち切られたが何とか都営住宅に残れた。国や県や東京都に要請の行動をやってきたからだと思っている。私たち避難者だけではとても無理だった。支援者の皆さんに感謝している。ほんとうに、この地域は住みやすい。人びとも優しい。いいところだ。

住宅要求の声をともに―熊本さん

 退職後、終(つい)の棲家(すみか)にと、移住して有機農法・無農薬の野菜作りに励んできた矢先の事故だった。

 準備する会には、公的住宅すら確保できていなメンバーが多く、このままでは来年4月以降、路頭に迷いかねない事態だ。住宅の無償提供はこれまで災害救助法に基づいて行われてきたが、避難が長期化し、避難先が広範囲となる原発災害に当てはめること自体に無理がある。ささやかな要求、公営住宅の入居でさえ、現行法の世帯要件に縛られて応募すらできない。避難者向けの法や制度の無作為のため結局犠牲になっている。私の家も放射線管理区域の2倍にあたる土壌汚染で、生活も農業も困難だ。損害賠償の裁判も行っている。

 11月27日、福島県交渉・集会に参加する。いま、住宅要求賛同の「共同アピール」への署名を集めている。一緒に声を上げてください。

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