2018年12月07日 1554号

【どくしょ室/わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想/藤井克徳著 合同出版 本体1500円+税/「生産性」による排除正当化は今も】

 本書は、20万人以上の障害者を虐殺したナチスの「T4作戦」から、優生思想と障害者差別を考える一冊である。著者は視覚障害者であり、「きょうされん」(共同作業所全国連絡会)に深くかかわる。まず、この本を書いた目的を「障害のある人の重くつらい過去に正面から向き合うこと」「障害のある人も共に、誰もが安心と希望を持てる社会をたぐり寄せるにはどうすればいいのか、一緒に考えること」と述べる。

 ナチスは、ユダヤ人の虐殺に先立ち「障害者の殺害計画」を実行した。作戦名の「T4」は作戦本部の置かれた地名に由来する。作戦を主導したのは、ナチスと精神科医だった。ナチスは「戦争遂行に障害者は不要」と考え、医師は「医学的な資料を得たい」と考えた。両者に共通したのが強力な優生思想であった。

 1940年以降、約20万人の障害者が殺害された。ドイツ全土に殺害施設が造られ、障害者はシャワールームとだまされてガス室に押し込まれ、一酸化炭素ガスで殺された。遺体は金歯が抜かれ、脳や臓器は標本とされ、焼却された。

 作戦の対象を「価値なき者」と断定したことが「T4作戦」の特徴だと著者は指摘する。「治る見込みのない者」「労働能力のない者」は社会的に意味のない者として殺害を合理化した。「生産性のない者」を社会から排除することが優生思想の本質なのだ。

 「T4作戦」は後のユダヤ人虐殺のリハーサルとなった。医師らがアウシュビッツなどの絶滅収容所に移り、毒性を高めたチクロンBを使った殺戮を実行した。戦後、ユダヤ人虐殺はナチスの最大の犯罪とされた。しかし「T4作戦」については、その実体解明を含め歴史的検証がなされたのは戦後70年たった2015年のこと。戦後も障害者を排除する優生思想は世界各国に根強く残ったのだ。

 日本でも、戦後制定された優生保護法によって多くの障害者が断種手術を強制された。「国の復興と繁栄のため」として「障害者をこれ以上増やさない」という大義名分がまかり通った。勇気ある被害者の訴訟で強制不妊手術がようやくクローズアップされたが、政治家による障害者やセクシャルマイノリティを傷つける発言が後を絶たない。優生思想が生きている証拠だ。

 著者は、19人もの重度障害者が犠牲となった「やまゆり園」事件について、優生思想を後押しする社会のゆがみを問題にしている。人間の価値をとらえる基準が変質し、生産性や経済性が何よりの目安となってしまった。その背景として市場万能主義や新自由主義の蔓延があると指摘する。

 手ごわい優生思想を克服する手段となるのは2006年に国連で採択された障害者権利条約だ。障害者自らが審議に参加し成立した同条約の持つ意義が改めて強調されている。 (N)
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