2018年12月21日 1556号

【米軍ミサイル配備に反対する カン・ヒョヌク さん 韓国ソソンリ/平和こそが道だ ともにヘイワ! サードの根に日韓の歴史問題】

 韓国ソソンリの米軍THAAD(サード)(高高度防衛ミサイル)基地を撤去させようと闘うカン・ヒョヌクさん(円仏教星州(ソンジュ)聖地守護非常対策委員会教務)が来日し、各地で「平和こそが道である」と訴えている。12月9日横浜集会でのスピーチを紹介する。(編集部の責任でまとめました)

日常を取り戻す

 みなさんは映画『ソソンリ』をご覧になりましたか。おもしろくはなく退屈な映画だったでしょう。というのは、監督の目的は大きな事件ではなく住民たちの平凡な日常を描くことだったから。平和だった村の日常が外国の軍隊によって安保という名目の下に踏みにじられていった。

 「平和」の反対語は「戦争」。では「戦争」の反対語は何か。「平和」より「日常」がしっくりくる。映画が伝えたかったのはこれだ。平凡な日常―野良仕事をし、家族で食事をとり、愛する人と過ごし、友達と会う。そんな生活が国家による不当な拘束を受けず、何の制約もなければ一番いい。しかし、それを失ってしまうのが戦争だ。私たちが取り戻そうとするのは「日常」。日常がすなわち平和だ。

軍事同盟強化は冷戦回帰

 サードはアメリカのミサイル防衛の中核兵器システムであり、韓米日軍事同盟の象徴だ。この三角同盟は米ソ冷戦の1947年に遡(さかのぼ)る。アメリカは東アジアでソ連と中国に対抗するため韓国と日本の助けを必要としたが、韓日の歴史問題が障害になった。51年、米アチソン国務長官はシーボルト駐日大使に「韓日関係を正常化しろ」と指示し、アメリカの介入が始まる。当時の李承晩(イスンマン)政権はこれを拒否。しかし、61年クーデターで権力を握った朴正煕(パクチョンヒ)はアメリカの支持を得るため、65年に屈辱的な韓日協定を結んだ。

 サード問題の根っこには韓日の歴史問題がある。50年を経て娘の朴槿恵(パククネ)がもう一度、国の歴史を売り渡した。15年3月、米シャーマン国務次官に「過去の敵を非難することでは何も進展しない」と言われ、「慰安婦」問題の妥協へと急旋回。同年12月の韓日外相合意に至った。歴史問題の障害を取り払い、三角同盟の強化を図る。翌16年7月、サード配備が宣言され、11月には韓日軍事情報保護協定を締結。韓米日トライアングルで軍事情報を共有する仕組みが出来上がった。朴政権は梁承泰(ヤンスンテ)大法院長官と結託して徴用工裁判の判決を遅らせた。

 日本政府は大法院判決を批判するが、法の最終権限をもつ司法の最高府の決定を否定することは近代国家の体制を無視するもの。歴史学者の申采浩(シンチェホ)は「歴史を忘れてしまった民族に未来はない」と言った。未来とはよりよい社会、進歩した社会、人と人のぶつかり合いがなく、互いに信頼でき、共に生きていける社会をいう。歴史を忘れてそういう未来に近づくことはできない。サード配備、韓日軍事情報協定、韓米日軍事同盟は冷戦時代に戻ることだ。

 朝鮮半島に平和が来たと言われる一方で、戦争の準備が進んでいる。海上迎撃ミサイルSM-3が導入され、早期警戒Xバンドレーダーと地対空ミサイルPAC-3を統合する。PAC-3は64機も購入し、サードと連動。SM-3もサードと連動し、ミサイル防衛システムが完成する。

地雷撤収の場に平和

 しかし、北朝鮮はもはや韓国の敵国ではない。9月、サード撤去を求めて青瓦台(チョンワデ)(大統領府)前で野宿闘争したが、出た言葉は「状況が変わっていないから立場も変わらない」。全世界が驚くぐらい状況は変わったのに、開いた口がふさがらない。11月3日には、「環境アセスが終われば正式手続きに入る。サードは軍事的効果がある」との鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官発言に抗議し、“サード撤去しなければ死”を意味する喪服を着て座り込んだ。

 保守勢力は「武器が平和を担保する」と言う。それに対する回答は軍事境界線近くの開城(ケソン)工業団地にある。6万人の北朝鮮軍がここにいた。金正日(キムジョンイル)国防委員長は「60万人の兵士を置いても平和は来ない。何万もの韓国の企業が入ってきたら実質的に終戦になる」と軍人を説得した。東西分断克服に貢献したドイツの政治家エゴン・バールは「第2、第3の開城工業団地を造っていけば平和は定着し、統一も来る」と評価した。

 すでに南北協定に従って非武装地帯の地雷撤収が始まった。撤収作業をしていた時、双方が偶然出会い、握手した。握手の写真も軍の提供だ。互いに武器を持っていたらこんな場面はなかっただろう。平和はここにある。

 すべて安心かといえばそうではない。アメリカはINF(中距離核戦力)全廃条約脱退を宣言した。冷戦・軍拡競争を転換させたINF条約からの脱退は、新冷戦体制の始まりになる。来年3月、三・一独立運動100周年の南北共同記念事業が行われることが決まったが、同じ3月、毎年軍事緊張を高めていた韓米合同軍事演習が実施される。この3月に緊張関係を新しく変えない限り、より悪い事態が到来する危険性がある。

できるからでなく、しなければ

 私たちがすべきは、現場の声を届けること。沖縄と同じだ。平和に向けた情勢を他人任せにしない。韓米日が“戦争共同体“に行かないよう平和に向けた声を届けていかなくてはならない。同盟というが、敵を想定した“戦争共同体“だ。韓日歴史問題を覆い隠し、戦争できる国にすることは、東アジアの緊張を激化させるだけ。各々の現場はつながっている。韓国の独立運動家、金昌洙(キムチャンス)(のちに金九(キムグ)と改名。大韓民国臨時政府主席)は「できるからするのではない。しなければならないからするのだ」と述べた。私たちは闘うしかない。ともにヘイワ!

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