2018年12月21日 1556号

【非国民がやってきた!(296)土人の時代(47)】

 本年12月4日、琉球人遺骨返還訴訟の提訴が行われました。

 京都帝国大学の人類学者らが1929年に沖縄県今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓から持ち出した遺骨が返還されていない問題で、琉球民族遺骨返還研究会の松島泰勝代表(龍谷大学教授)ら5人が、京都大学に遺骨返還と損害賠償を求め、京都地裁に提訴しました。琉球人の遺骨返還を求める民事訴訟は全国で初めてです(琉球新報12月4日)。

 百按司墓は北山王系または第一尚氏系統の墓所と考えられているため、訴訟の原告には家譜などから第一尚氏の子孫と確認されている2人が加わっています。さらに琉球民族として松島代表、照屋寛徳衆院議員、彫刻家の金城実の3人も原告になりました。

 遺骨は京都帝国大学助教授だった金関丈夫が、1929年に百按司墓から持ち出したことが分かっています。松島代表らは京都大に情報開示と遺骨返還を求めましたが、拒否されたため提訴に至りました。

 先住民族が研究目的で持ち出された遺骨の返還を求める動きは近年、世界的に広がっています。アイヌ民族は北海道大学などに返還を求める訴訟を提起してきました。そのうち一つの訴訟では、和解により遺骨を返還させました。

 原告らは、京都大が遺骨を返還しないことで憲法20条の信教の自由が侵害されていることなどを訴えています。遺骨返還を求める権利を明記した国連の先住民族権利宣言にも反していると主張し、損害賠償は原告1人あたり10万円を求めました。

 この問題を継続して取材してきた京都新聞は次のように伝えています。

 「訴状によると、返還を求める遺骨は、京都帝国大医学部解剖学教室助教授だった金関丈夫氏(1897〜1983年)が、1928〜29(昭和3〜4)年に百按司墓から持ち出した26体(男性15体、女性11体)の骨。金関氏が墓を管理する親族らの許可を得ずに、盗掘したとしている。遺骨は、現在も京大が人骨標本の研究材料として、何ら権限なく占有していると訴えている。原告は、15世紀に琉球王朝を開き、同墓に埋葬されたとされる王族『第一尚氏』の子孫2人と、沖縄県出身で琉球民族遺骨返還研究会代表の松島泰勝・龍谷大教授ら計5人。沖縄では、先祖の霊魂は骨に宿るとして遺骨そのものが崇拝の対象となっているとし、遺骨が本来あるべき場所にないため、憲法が保障する信仰の自由や民族的、宗教的自己決定権が侵害されたと主張する。持ち出された遺骨が誰なのかが判明していないため、訴訟では、原告に遺骨の返還を求める権利があるのか(原告適格)が争点となるとみられる。京都大広報課は『訴状を見ていないのでコメントできない』としている。」(京都新聞12月4日)

 琉球民族の墓を勝手に暴いて骨を盗んだのですから、謝罪して返還するのが当然です。これまで紹介してきたように、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダでは返還が進められています。

 しかし、日本では議論が始まったばかりですし、日本の法理論はこうした問題に対処できるようにはなっていません。

 例えば、アイヌ民族の遺骨返還訴訟で、北海道大学側は、遺骨の所有権をめぐる法律論を抗弁として用いました。日本民法では、所有権は個人に帰属し、祭祀の権利は家長にあるとされてきました。共同体の所有権は認められていません。つまり、遺骨の所有権を継承する正当な遺族でないと請求できないという主張です。遺骨がどこから持ち出されたものか、誰のものであるかがわからないと、請求権の主張ができないとされているのです。

 この理屈を使うと、琉球民族の一員であるというだけでは継承者とは認められないことになってしまいます。本来問われるべきは、所有権者でない京都大学が遺骨を保管していることの当否です。しかし、日本の裁判では、原告である琉球民族側に挙証責任が課されます。今回の提訴で、王族の子孫が原告に加わっているのは、このためでしょう。

 また、国連先住民族権利宣言を解釈基準の一つとして位置づけるべきですが、宣言はあくまでも宣言のため、日本の裁判所がこれをどう扱うかも難しいところです。人種差別撤廃条約のように、日本政府が批准した条約でさえ、日本の裁判所による適用例はあまり多くはありません。国際人権法に疎い日本の裁判官を説得する法理論を鍛える必要があります。
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