2018年12月28日 1557号

【労働尊重都市ソウルに学ぶ 感情労働者≠フ権利を保護/寄稿 東京都足立区議 土屋のりこさん】

 昨年に続き、韓国ソウル市へ行政施策の調査に行ってきた。たっぷり1週間、前半は青年政策についてなかまユニオンの連帯訪問、後半は「感情労働」や「訪問する福祉」等の現場で働く方からのヒアリングで希望連帯という日本のグループ主催の調査ツアーに参加させてもらった。ソウル市の民主主義を拓く取り組みはまさに現在進行形で、この1年の間にも多々変化があり、深く多く学ぶことができた。その一端を紹介できればと思う。

ストレスで健康被害

 「労働尊重都市ソウル」を掲げるソウル市は、2016年に感情労働者の労働者としての権利を守るために「ソウル特別市感情労働従事者の権利保護などに関する条例」を制定、施行した。

 「感情労働」とは、1983年に米国の社会学者が提唱したもので、客を直接相手にする職種で、自分より客の気持ちを優先して感情をコントロールしながら働くことを特に求められる職種をいう。主に女性労働者が働く職場に多く、コールセンターや販売店員、客室乗務員、介護・医療従事者、教員等も含まれる。

 感情労働が社会問題化したきっかけに2014年「ナッツリターン事件」(注)がある。悪質なクレームや迷惑行為など客に無理難題、理不尽な要求を突きつけられても笑顔で対応することを強いられ、深刻な精神的ストレス、健康問題が顕在化している。

茶山(タサン)コールセンターの闘い

 感情労働者保護条例による事業の一環で、感情労働従事者権利保護センターがこの9月に開所した。できたばかりのセンターで、スタッフから事業のホットな現状を聞いた。

 「ソウル市で保護条例ができたきっかけに茶山(タサン)コールセンターでの闘いがあった。ソウル市行政への問い合わせ電話に対応し担当へつなぐコールセンターで、市の委託事業。クレーム電話がきて無茶苦茶な暴言を言われても、電話を切れなかった。離職率も高かったが、ワンストライクアウト、切ってもいいように変わって(後述)継続して働く人が増えた」

 希望連帯労組の下、茶山コールセンター支部の直雇用化を求める闘いが実り、14年に直雇用化方針発表、16年に感情労働者保護条例制定、権利保護総合計画が策定された。

 18年4月には産業安全保健法が改正され、事業主に対し義務が課せられた。「顧客の暴言等による健康障害予防措置」の項目が新設され、「事業主は(中略)業務の一時中断、または転換等、必要な措置をとらねばならない」「労働者は措置を要求でき、事業主は解雇・不利益処遇をしてはならない」、また罰則として「1千万ウォン以下の過料」が事業主に科せられる。

 もうひとつ、重要なのが「ワンストライクアウト」、つまり一度でも暴言・悪質行為を受ければ、受けた労働者はその客への対応を断れるようになった。

 昨年は、現場での感情労働者保護、目が届かない「死角地帯」の解消、感情労働に対する認識改善などが取り組まれ、成果を上げた。

 現場での労働者保護事業では、ソウル市傘下の事業場で実態調査をおこない、報告書にまとめ、討論会を開催した。

 個別の事例では、世宗(セジョン)文化会館(キャンドル革命の広場近くにある)の労働者保護規定の作成があった。キャンドル革命に集った市民が会館のトイレを利用したり、案内をおこなったりしたが、市民からの苦情が多く寄せられた。また、コンサートホール客からは「音響がまずかったから金を返せ」という無茶な要求があるなど、会館マネージャーのストレスは大きかった。そうした機関ごとの保護制度をコンサルティングし、他へも波及させ、全体的な改善につなげている。

 死角地帯解消の事業としては、心理カウンセラーを配置し、トラウマや精神的な悩みに心理相談サービスを提供し、自己肯定感を高める教育(外国人労働者の場合、クレームは語学力不足だからではなく無理な注文をしている相手が悪い、力は不足していない、と教える)などもおこなう。

 感情労働に対する認識改善では、広報物の発行や地域の労働団体と共同での街頭キャンペーン、ロゴを作成して様々な発行物、文具などに活用し、感情労働保護の周知を図るなどおこなっている。

貫かれる労働者保護

 聞けば聞くほど労働者保護の観点の貫かれた事業で、行政としてここまでできるとは驚きだった。さらに、ソウル市傘下の取り組みを来年度は民間企業にも広げていくことが方針化されていた。

 1年間で着実に事業の前進があり、労働尊重都市ソウルが一つひとつ実現されていることを感じた。労働組合側からはソウル市行政への批判もあるようだが、それでも日本の自治体行政と比べると立派なものだな、と改めて思った。

 労働尊重都市あだちへ、行政へ大胆に提起し、共感者を市民へ広げ、区政改革を求めていきたい。

(注)2014年、大韓航空副社長が客室乗務員の接客態度に怒り、離陸直前の飛行機を搭乗口へ戻させた事件。



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