2019年02月01日 1561号

【シネマ観客席/アイ(子ども)たちの学校(ハッキョ)/高賛侑監督 「アイたちの学校」制作委員会 2019年 99分/「生きるための場所」を守る闘い】

 朝鮮学校の歴史と現状を描く記録映画『アイたちの学校』の上映が始まった。監督はノンフィクション作家の高賛侑(コウチャニュウ)さん。初の映像作品に取り組んだのは、朝鮮学校に対する「誤解や偏見」を解くためだという。

 いま朝鮮学校が直面している最大の問題は、高校授業料無償化制度からの除外である。なぜ除外されたのか。下村博文文科相(当時)は「拉致問題の進展がないこと」や朝鮮総連との「密接な関係」を理由に挙げ、無償化適用は「国民の理解を得られない」とした。

 政府自らが根拠のない差別デマを発信する―まさに「官製ヘイト」というほかない。そこで本作品は学びの場としての普遍性を強調している。朝鮮学校は日本で生活する「普通」の子どもたちが「普通」のカリキュラムで学び、「普通の青春」を謳歌している場所なんだ、と。

 しかし映画を観て印象に残るのは、朝鮮学校は良い意味で「普通」の学校ではないということだ。だってそうでしょう。生徒、卒業生、教職員、保護者、そして地域の人びと(在日同胞)が皆、「私たちの学校(ウリハッキョ)」と呼び、宝物のように大切にしている学校が今の日本でどれだけあるだろうか。

 在日コリアンにとって朝鮮学校はただ単に知識を習得する場所ではない。現役生徒やOBが映画で異口同音に語るように、「自分が何者であるかを教えてくれるところ」である。日本社会には植民地支配に由来する朝鮮人差別が今も根強く存在する。そうした排外的空気の中にいると、自分の出自を恥ずべきものだと思い込まされてしまう。だから、民族の歴史や文化を学び、自己肯定感をはぐくむウリハッキョが子どもたちには必要なのだ。

 また、地域の在日コリアンにとって朝鮮学校はコミュニティの中核である。故郷とも言える存在が地域にあることにこだわり、物心両面で学校運営を支えてきた。運動会やバザーなどの行事を通して、朝鮮学校が広場(マダン)の役割を担っていることを映画はいきいきと描いている。

 そんな朝鮮学校を安倍政権は圧殺しようとしている、映画にあるように、朝鮮学校の歴史は弾圧の歴史だった。武装警官を動員しての強制閉鎖。抗議行動の暴力的鎮圧(当時16歳の少年が警察に射殺された)。近年では、明らかに政治的意図にもどづく強制捜査等々…。「同化を迫り、拒めば排除する」という植民地主義は今も続いている。その延長線上に高校無償化制度からの除外があるのである。

 国際人権条約の常識である民族教育を受ける権利、すなわちマイノリティが生きる権利を奪う攻撃を許してはならない。安倍政権によるコリア・バッシングが吹き荒れる今だからこそ多くの人びとに観てもらいたい。       (O)

・2月20日18時30分より、連合会館大会議室(東京・御茶ノ水)で上映会。ほか各地でも上映予定。問い合わせは高賛侑監督(kochanyu@hotmail.com)

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