2019年02月15日 1563号

【子どもたちの声にどう応えるか/東京朝鮮高校生「無償化」裁判/最高裁勝利をめざし集会】

 朝鮮学校の生徒たちが「高校無償化」からの排除に抗議の声を上げて9年。朝鮮大学生が始めた毎週金曜日の文部科学省前行動は250回以上になる。しかし、今も差別は続いている。

 子どもたちの声にどう応えるか。そのことを考え、最高裁に舞台が移った裁判闘争の勝利に向けて再決起しようと2月2日、都内で集会が開かれた。東京朝鮮高校生の裁判を支援する会などの主催で、「私たちの願い・朝鮮学校生に笑顔を!全国行動月間2019」の一環。

 リレートークで、支援する会共同代表の田中宏さん(一橋大学名誉教授)は財布から千円札を取り出し、「1963年に(肖像が)伊藤博文に替わった。華人系の留学生から『朝鮮民族の恨みを買ってハルビンで殺された人をなぜ持ち出すのか。在日朝鮮人は毎日の買い物でこのお札を使う。日本人は随分残酷なことを平気でするんですね』と言われた。朝鮮学校の問題は、日本が地球上から朝鮮を消すということをやった歴史とどう向き合うか、が原点だ」。

 続けて、ポツダム宣言とカイロ宣言の条文を紹介する。「カイロ宣言には『朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものにする』とある。民族の言葉や名前を奪われることは奴隷状態だというのが国際認識。戦後、在日朝鮮人が奪われた文化を回復するためにつくった民族学校に対し、日本政府は弾圧に踏み出す(48年、四・二四(サイサ)阪神教育闘争)。奴隷状態からの解放とは正反対のことをした」

 “四・二四”の年、国連は世界人権宣言を採択する。同宣言を受けて最初に定めた条約が人種差別撤廃条約(65年採択)だ。その前文には「国連が植民地主義とこれに伴う隔離・差別のあらゆる慣行を非難してきたことを考慮し」条約を結ぶと書かれている。日本は30年後の95年に加入手続きをとった。

 「世界人権宣言に源をもつ人種差別撤廃委員会で、日本政府は高校無償化排除の政策を改めよと何度も勧告されている。もう一つ忘れていけないのは、かつて金(キム)親子の写真が飾られた学校に近づくなと言っていた韓国の市民運動が今や、民族教育をサポートして闘っていること。差別をしている連中は政権を握っていても四面楚歌、世界から相手にされていない」。田中さんは力を込めて訴えた。

 オモニ(母)会の女性たちが登壇し、「1月16〜17日、ジュネーブの国連子どもの権利委員会の日本審査でロビー活動をしてきた。海外の同胞たちも応援に来てくれ、委員たちに情報を提供できた」「一日も早く日本の高校生と同じように心おきなく勉強や部活動に励める環境をつくってあげたい」「家が朝鮮料理屋。学校でからかわれた。朝鮮学校に通わせた子どもが朝鮮人としてごく自然で当たり前なことがうらやましかった。その子どもたちが何年もつらい思いをしている。本来の笑顔を取り戻せるよう一緒に頑張る」と闘い続ける決意を語った。

 1月28日に亡くなった元日本軍「慰安婦」の金福童(キムボクトン)さんが、差別される在日同胞の現実に心を痛め、熱心に朝鮮学校支援に取り組んでいたことも紹介された。
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