2019年02月22日 1564号

【日韓ユースin沖縄に参加して】

チビチリガマに入って 「強制集団死」繰り返さない

 ガマ。それは、思った以上に狭く、暗く、そして湿っぽかった。

 今回日韓ユース参加団に加わった最大の目的は、ガマに入ることだった。私は、ミュージカル『ガマ人間あらわる』で沖縄戦の場面を演じており、いつか必ず訪問したいと思っていた。

 私が入ったのは、チビチリガマ。80名以上が「集団自決」(強制集団死)したガマで、犠牲者は女性・子どもが多かった。現在は、遺族の意向によりガマの入口が封鎖されているが、遺族会の一人、知花昌一さんが特別に入れてくださった。

 入口には、何羽もの千羽鶴が束になっている。奥に進むと2体の子地蔵が並んでいた。おそらく供養の場所だろう。そこから奥は、かがまないと頭をぶつけてしまいそうになる狭い空間だった。

 坂を上ると、小石を並べた輪の中に刃物や櫛(くし)や弁当箱など沖縄戦当時の遺品が散乱していた。曲がった包丁もあった。昨年、心ないことに沖縄の少年たちが破壊した遺品の一つだという。櫛には大人用だけでなく、子ども用もあった。当時どんな思いで毎日髪を梳(と)かしていたのか、食事をとっていたのか。考えると胸が張り裂けそうになった。

 知花さんによると、死ぬ手段にはいくつかあって、まず、刃物で首筋を切る。それができない人は灯油を被(かぶ)ったりした。死因のほとんどは、煙による窒息死だそうだ。当時、我が子を手にかけた母親は「米兵の強姦による死から逃れるためだった」と話したという。選択肢が死しかなかったことを思うといたたまれない気持ちになった。

 私は、沖縄を舞台にした演劇の団員として、生半可な思いではいけないと感じ、無残な死を遂げざるを得なかった彼ら彼女らの思いに寄り添う気持ち、そして何よりも、こんな惨劇を2度と繰り返させないという思い、沖縄戦を教訓にした「命どぅ宝」の思いで演じなければと思った。

(「月桃の花」歌舞団 竹内雄紀)

忘れてはならないこと 戦争犠牲者の声を基地建設阻止へ

 1月10日〜12日まで参加しました。初日、島尻に向かう車中から見た一家全滅の家。そこだけ戦争の時のまま、時間が止まっている様に思いました。悲惨な事実を伝えたいと遺族の方がお金や手間をかけて保存されていると聞き、忘れてはならないことだと心に刻みました。また沖縄県平和祈念資料館、戦争体験手記コーナーの光景が忘れられません。20〜30ほどの閲覧席がすべて若い子たちで埋まっていました。希望ある未来が感じられ、感動しました。

 2日目は辺野古で基地建設反対の行動です。沖縄へ来た一番重要な目的です。天気が悪く工事車両の搬入は無かったのですが、現地の方の話の他に市議会議員、北海道や広島からの団体の訴えが聞けました。韓国チェジュ島から来た子たちも歌やダンスのパフォーマンスを見せてくれて、非常に中身の詰まったテント前集会でした。

 大浦湾を臨んで、名護市議東恩納琢磨さんから詳しい解説を受けました。政府が地元自治体に直接手を突っ込み、裏から金の力で玉城県政を破壊する。本当に悪どい、ならず者政権だと思いました。本州の人間として何としても安倍政権を終わらせなければと思います。

 元海兵隊員に暴行殺害された女性の遺棄現場へも行きました。遺族の方はどれだけ悲しまれたことか。私たちは忘れてはならない。米軍基地あるが故の悲劇であることを。辺野古新基地建設に反対しているのは今生きている人びとだけの願いではないことを。

 その夜、日韓青年が平和とは何かを話し合い、交流しました。私は大学院で社会学を研究しているヨングンさんとスマホ翻訳や片言の英語で話しました。別の学生とは、これまでの辛かった経験や大学で学ぶ目的等、お互いに「そうだよね!」と共感できる深い話し合いが出来ました。

 河辺さんの韓国語通訳のおかげもあり、手を取り、学び合う日韓の若者たちがいたということ、その動きを示せたことは大変意義深い。私にとっても刺激的な体験でした。

(ZENKO京都 児島克博)
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