2019年02月22日 1564号

【ZENKO沖縄訪問団/チビチリガマを訪れて/少年たちと「喉仏」】

 第二次世界大戦末期の沖縄で米軍が最初に上陸したとされるのが読谷村であり、この村のチビチリガマ(壕)において「集団自決」(強制死)が行われたことは、今でこそ広く知られているが、戦後長期間、地元では語ることもタブーとされてきた。それほど残酷な事件であったのだろうと言われている。

 2017年9月、そのガマが、4人の少年らによって荒らされるという衝撃的な事件が起きた。侵入の動機は「肝試し」。この事件は何か重大な「一線」を越えていることを本人達も私達も考えていかなければならないと思う。

 少年ら4人中3人は無職。1人は高校休学中という生活背景が分かった。中学卒業後、進学も就職もしていないという進路未定者が全国平均より高い沖縄は貧困率も高い。基地が弊害となっていることは言うまでもない。基地が経済発展を阻害しているからである。

 今回実際に訪れてみて分かったことがある。この少年たちに寄り添って、彫刻家金城実氏が一緒に「喉仏(のどぼとけ)」(2gのペットボトルを芯にした土の人形)100体を製作中であったことだ。表情はどれも異なっていた。

      (杉之原)
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