2019年03月01日 1565号

【県民投票当日に天皇30年式典/あらためて考える天皇と沖縄/沖縄を捨てた昭和天皇】

 きたる2月24日は沖縄県民投票の投票日である。米軍新基地建設のために名護市辺野古の海を埋め立てることの賛否を県民に直接問う。同じ日、東京・国立劇場では天皇在位30年の記念式典が政府主催で大々的に行われる。

 式典では、明仁天皇が作った琉歌に美智子皇后が曲をつけた楽曲を歌手の三浦大知(沖縄出身)が披露する。「沖縄に特別な思いを寄せてきた両陛下」にふさわしい演出なのだそうだ。

 たしかに明仁天皇は「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく」と語ってきた。その背景に沖縄への後ろめたさがあったとしても不思議ではない。なにしろ彼の父親(昭和天皇)は沖縄を切り捨てる仕打ちを3回もしたのだから。

 最初は沖縄戦だ。1945年2月、近衛文麿元首相は「国体護持」の観点から早期終戦を進言したが、昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないと話は難しい」と述べ、提案に消極的な姿勢を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、沖縄県民だけで15万人が犠牲となった。

 次は、近衛を「天皇の特使」としてソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」には「国土に就いては…止むを得ざれば固有本土を以て満足す」との一文がある。要するに、「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」ということだ。昭和天皇にとって沖縄は捨てても構わない存在だったのだ。

 3つ目は有名な「沖縄メッセージ」である。1947年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に対し、沖縄の長期占領を望んでいることを側近を通して伝えたのだ。その中で昭和天皇は、沖縄の軍事占領は米国の利益になるし日本を守ることにもなるとの見解を示した。さらに、「占領の方式は日本の主権を残したまま長期租借によるべき」と、軍事占領に対する国内外の批判をかわすためのアイデアまで提案している。

 このように、昭和天皇は自己の保身のために沖縄が「基地の島」であり続けることを望んだ。天皇やその側近グループにとって、沖縄は一貫して「国体護持」あるいは「本土防衛」のための“捨て石”でしかなかったのである。

 ちなみに、宮内庁は「沖縄メッセージ」について事実とは認定しておらず、昭和天皇の生涯を克明記録した『実録』でも直接の記述はない。都合の悪い事実はなかったことにする、この国の情報隠蔽(いんぺい)体質がここにもあらわれている。

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 県民投票と同じ日に天皇在位30年式典が行われるのは偶然かもしれない。だが、政府がこのイベントを「県民投票隠し」に利用することは目に見えている。御用メディアは式典を大きく報道することで県民投票の印象を薄め、その意義を小さくみせようとするだろう。

 沖縄の人びとが主権者の意思表明権を行使している日に「天皇陛下万歳」だなんて、ブラックジョークにもほどがある。明仁天皇に父親の行為を謝罪する気持ちがあるのなら、沖縄いじめの張本人(安倍政権)を利する式典などボイコットすればどうか。ま、現実的には政治利用されることになるのだろうけど。天皇制とはそういうものだ。

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