2019年03月01日 1565号

【たんぽぽのように(5) ソルラルと民主主義 李真革(イチンヒョク)】

 2月5日は韓国のソルラル、旧正月だった。韓国では1月1日よりも旧正月をより重要な祝日と考え、休日も長い。

 ソルラルになると、美しい服を着て両親や周りの人びとにセベ(新年の挨拶のお辞儀)をする。家族が集まり、美味しい料理を一緒に食べ、先祖に祭祀を行ない、凧やユンノリ(韓国の双六<すごろく>)など伝統的な遊びで過ごす。 互いに「セへボンマニパドセヨ(新年福をたくさん受けてください)」と挨拶する。

 ソルラルを代表する食べ物はトックだ。日本の雑煮と似ているが、米で作った丸く細長い餅を薄く切り、肉のスープに入れて食べる。韓国食堂でトックを食べた方も多くいると思う。

 ソルラルが過ぎると、トックをいくつ食べたかを聞く挨拶もする。トックを食べれば1歳を食べたという意味になる。これは年齢を数える韓国独特の方法に関係がある。新年最初の日になると、歳をとるというもので、誕生日が過ぎたら年齢が変わるのとは異なる。だが、今日では韓国も数え歳をやめ世界の傾向に従いつつあるが。

 地域によって風習が違い、朝鮮半島のどこでもトックを食べるわけではない。北部では、餅の代わりに餃子のようなものを入れたマントゥクを食べる。餃子よりはるかに大きく様々な材料を入れたマントゥクは、暖かい南部では長く保存することが難しい。トックは南部で主に食べられ、南北の間の地域では、餅と餃子を入れたトクマントゥクを食べることもある。

 ソルラルは起源が古く、さまざまな名前を持っている。しかし、1910年に日本帝国に強制併合された後は、旧正月という名前になった。日本がグレゴリオ暦を受け入れ、新・旧正月という名称を使うことになり、その影響によるものである。ところが、名前が変わっただけではなく、朝鮮人がその固有の祝日であるソルラルを過ごすことも禁止された。朝鮮の伝統や文化は否定され抑圧された。

 1945年に解放されても状況は変わらなかった。李承晩(イスンマン)政権と朴正煕(パクチョンヒ)政権は、日本帝国と同じ政策を維持した。ソルラルは、なお旧正月の名で呼ばれ、現在のように3連休もなかった。 ようやく1985年、「民俗の日」という名前を得、1987年民主化大闘争の後に誕生した盧泰愚(ノテウ)政権になって、今のような名前と形式を回復した。奪われた名前を取り戻すまでに70年以上かかったのだ。

 2月27日、第2回朝米首脳会談が開かれる。 70年以上続いてきた対立と反目の歴史がどのように変わるか。明らかなのは、ソルラルが名前を取り戻すまでに長い時間がかかり、またひとりでにそうなったのではないように、和解と平和の時代も誰かによって自然にもたらされるのではないことだと思う。

(筆者は市民活動家、大阪在住) 
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