2019年03月15日 1567号

【シネマ観客席/金子文子と朴烈/イ・ジュンイク監督 2017年 韓国 129分/植民地支配・天皇制への反逆】

 1923年、東京。「犬ころ」という詩に心を奪われた金子文子は、作者でアナキスト(無政府主義者)の朴烈(パクヨル)を訪ね、同志として一緒に暮らそうと提案する。それは単刀直入な愛の告白だった。

 同年9月、関東大震災が発生。民衆の怒りが自らに向かうことを恐れた日本政府は戒厳令を公布。そのために「朝鮮人暴動」のデマを利用した。政府がお墨付きを与えたことで自警団や官憲による朝鮮人虐殺が各地で相次いだ。

 警察に「保護検束」されていた朴烈と文子は「皇太子暗殺」を謀ったとして起訴される。政府が責任逃れのために事件をでっちあげたのだ。だが、2人はあえて権力のシナリオに乗っかり裁判闘争に持ち込んだ。三・一独立運動及び大震災における朝鮮人虐殺の事実を公にし、その背景にある天皇制の非を世界に訴えるために…

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 本作品の原題は『朴烈』だが、邦題のほうが映画の内容にはふさわしい。韓国でも金子文子をタイトルに入れるべきだとの声が多かったそうだ。それぐらい、金子文子の存在感が際立っている。文子役のチェ・ヒソの熱演は圧巻で、各種映画賞を総なめにしたのも納得できる。

 文子は親や親類から虐待を受けて育った。また、少女期を植民地朝鮮で暮らし、日本人に酷使され、蔑まれる朝鮮人の姿を目の当たりした。いつしか彼女は虐げられた朝鮮人と同じ目線を持つようになっていた。

 「私は貧乏であった。今も貧乏である。そのために私は、金のある人々に酷(こ)き使われ、苛(いじ)められ、責(さい)なまれ抑えつけられ、自由を奪われ、搾取され、支配されてきた。そうして私は、そうした力をもっている人への反感を常に心の底に蔵(ぞう)してきた。と同時に、私と同じような境遇にある者に心からの同情を寄せていた」(獄中手記『何が私をこうさせたか』/岩波文庫)

 三・一独立運動を現地で目撃した文子は「他人のこととは思い得ぬほどの感激」に打ち震えたという。彼女が朴烈を生涯の同志とし、植民地帝国=天皇制国家に闘いを挑んだのは、必然だったのだ。

 「人間はみな平等。馬鹿も利口も、強者も弱者もない」を信念とする文子にとって、天皇制は差別の根源であり唾棄すべきものである。朴烈は天皇を「寄生虫」と表現し、人民にとって有害無益だと断じた。

 「捏造された伝説」にすぎない天皇制の嘘を暴き、法廷で痛烈に批判した文子と朴烈。その様子を映画は劇的に再現している。ぜひ体感してほしい(日本の映画宣伝は2人の「純愛」ばかりを強調し、天皇制批判を無視する傾向にある)。

 「私は生を肯定する。より強く肯定する」「生を肯定するがゆえに、生をおびやかそうとするいっさいの力に対して奮然と反逆する」――文子が残した言葉を、現代社会の理不尽と闘うすべての者へのエールとして受け止めたい。(O)
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