2019年03月22日 1568号

【辺野古大行動連帯、沖縄戦も学んだ 3.1〜3.3ZENKO参加団】

基地とガマに学ぶ

 3月1日から3日まで沖縄に行かせていただいて印象に残ったことが2つあります。

 1つ目は沖縄の基地です。嘉手納、普天間、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ。実際に見るととても大きく、どこまでが基地なのか分からないほどでした。高いフェンスに囲まれ、車で走っているとまるで閉じ込められたような気持ちになりました。普天間基地は住宅街のど真ん中にあり、その上を飛行機がタッチアンドゴーの訓練を何度も何度も行い、いつ事故が起きてもおかしくない。住民は常に不安と恐怖と隣り合わせです。そんな基地を無くすために、たくさんの人が強い気持ちを持って反対運動に取り組んでいると感じました。

 2つ目はガマに初めて入ったことです。85名の人が「集団自決」したチビチリガマに入りました。真っ暗なガマの中で20日間も生活していたなんて信じられません。一番奥には、当時のお茶碗やくし、お弁当、毒薬注射で使用された薬のビンもありました。知花昌一さんから、人びとが毒薬注射や包丁で自ら命を絶ったお話を聞きました。アメリカ軍に捕まるぐらいなら自分で命を絶つという考え方は私には考えられないものでした。

 私は「月桃の花」歌舞団『ガマ人間あらわる』大津公演で女学生役として出演しましたが、ガマに入ったことがなく、当時の人がどんな気持ちで過ごしたのか分からず演じていました。今回ガマに入りたくさんのことを得られたので、たくさんの人に伝わるよう演技に生かすことができたらいいと思いました。

 この3日間で今まで知らなかったことを知ることができました。基地のこと、沖縄戦のこと、まだまだ知らないことが多くあります。少しずつ学んでいきたいと思いました。

(「月桃の花」歌舞団・岩崎奈那美)

沖縄問題の根源を見た

 今までの私は、沖縄の問題を全体的にぼやっとしか見ていなかったのですが、2度目の辺野古連帯訪問となった今回の参加で、沖縄戦と辺野古に関する学習を通して沖縄の抱える諸問題の根源が見えたように思います。

 普天間基地がいつ、なぜ、どのようにして、あの場所に作られたのか、そのいきさつをポイントを押さえて教えていただきました。戦況、人びとの生活、沖縄を捨て石にし、長期戦にもちこんだ日本軍の戦略、朝鮮人強制労働、「慰安婦」問題、米軍の戦略など、私の中でばらばらだった知識が繋がりました。

 普天間基地は、国際法上も、米国の基地の条件に違反していることからも、返還するのは当然だし、殺人など犯罪を起こした米兵を日本に引き渡すのも当然です。地位協定を根本的に見直すべきだと再認識し、これ以上沖縄を犠牲にしないように協力を惜しむまいと決意を新たにしました。

 そして、民意を無視し、辺野古新基地建設に超高額な血税を投入するなど、安倍政権の暴走を止めるため、地方選、参院選には絶対に勝たねばなりません。根は一つである原発停止・廃炉のためにも。みなさんともに闘いましょう。

(関電前プロジェクト・松永勝子)

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