2019年04月05日 1570号

【非国民がやってきた!(303)土人の時代(54)】

 松島・木村編著『大学による盗骨』(耕文社)の第1部「琉球の遺骨返還問題」には「琉球人遺骨問題と自己決定権」(宮城隆尋)、「形質人類学と植民地主義との歴史的関係と今日的課題」(松島泰勝)、「研究のおぞましさについて」(冨山一郎)が収められています。

 宮城隆尋は琉球新報記者としてこの問題を追いかけてきました。松島泰勝は本連載で何度もその名を記してきたように、この問題を取り上げ、研究と運動を進めてきた中心人物です。

 他方、冨山一郎は同志社大学奄美・沖縄・琉球センター教授で、沖縄近現代史の研究者です。著書に『暴力の予感――伊波普猷における危機の問題』(岩波書店)、『戦場の記憶』(日本経済評論社)、『流着の思想――「沖縄問題」の系譜学』(インパクト出版界)等があります。

 冨山は、冒頭で読者をストラスブール大学へ招きます。ストラスブールといえば現在は欧州評議会本部、欧州人権裁判所があります。EUの施設が並ぶブリュッセルやルクセンブルクと並ぶ「欧州の首都」です。

 ストラスブールはフランス東端にあり、古くからライン河の水運の要所でした。このためドイツとフランスの領土争いの焦点となってきた町です。ドイツ領になったりフランス領になったりを何度も繰り返しました。ナチス・ドイツも真っ先にストラスブールを占領して、支配下に置きました。

 冨山は、2015年にストラスブール大学で発見された骨がユダヤ人コミュニティに返還されたといいます。

 「その始まりは、ストラスブール大学の元解剖学教授アウグスト・ヒルトが、1942年2月9日付で、ヒトラーの側近であるハインリフ・ヒムラーに提出した、『ストラスブール国立大学における科学研究のためのユダヤ人/ボルシェビストの政治委員の頭蓋骨を確保する件について』と題された文書である。」

 ヒルトは比較解剖学的研究、人種の所属に関する研究の重要性を訴えました。こうしてストラスブール大学に多数の頭蓋骨が収集されました。ストラスブールがナチス支配から解放された後に遺体と骨の埋葬が行われましたが、一部残っていたものが2015年に発見されたのです。ヒルトは責任追及の裁判を前にして自殺したとのことです。

 それでは、日本の医学者たち、科学者たちはどうでしょうか。本連載で何度も紹介してきた北海道大学や京都大学の医学者たち、科学者たちの責任が問われることはあったでしょうか。答えは明白です。誰一人として責任を問われることなく、戦後もその地位にとどまり、大学教授として研究と教育に励むことができました。おそらく誰一人として「反省」することもありませんでした。その弟子たち、孫弟子たちが同じ大学の教育研究職を占めています。もちろん「反省」などしません。

 冨山は「人類学のおぞましさ」と題して、1930年の台湾における「霧社事件」の際に人類学者の金関丈夫が盗掘や人骨標本の計測をした可能性が極めて高いと言います。金関は琉球民族の遺骨を盗んだ京都帝国大学助教授です。あちこちで同様のことを繰り返したのです。金関は、1978年に『形質人類誌』謄本を出版しています。そこには台北帝国大学解剖学教室時代の研究が収められています。

 冨山は、ここに植民地主義の「おぞましさ」を見るのですが、要点は2つあります。

 第1に、金関の研究は、台北帝国大学及び国立台湾大学の公費、及び文部省学術研究費によって行われたことです。

 第2に、戦前と戦後の間に断絶も反省もないことです。日本国憲法制定と戦後の民主化にもかかわらず、「こうした人骨標本は、学術資料として日本帝国崩壊後も用いられ、多くの論文と研究資金の源となったということである。あえていえば、帝国の拡大とともに行われた各地での計測と収集は、何の反省もないまま戦後に受け継がれていったのだ。またその無自覚さは、科学という言葉において支えられていたのである。」

 冨山は、台湾や琉球における盗掘の様子を具体的に紹介した上で、遺骨が現在なお隠匿されているだけではなく、DNA鑑定やヒトゲノム解析という現代科学の手法によって研究材料とされ続けていることを指摘します。盗掘は100年前の犯罪ですが、その贓品(ぞうひん〜盗んだ物)を使った研究がいまも続いているのです。

 冨山はここに「おぞましさ」を再確認します。
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS