2019年04月19日 1572号

【新元号発表バカ騒ぎ/政権浮揚のための政治ショー/アベ改元に踊らされるな】

 4月1日の新元号発表を安倍政権は徹底的に政治利用した。御用メディアを総動員して「新時代の幕開け」を演出し、政権浮揚効果を狙ったのである。何かが変わるとの期待感を抱かせる「やるやる詐欺」の一種だが、内閣支持率はたしかに上昇した。バカバカしくも決して軽視はできない「令和フィーバー」を読み解いてみたい。

露骨な政治利用

 新元号の発表当日、安倍晋三首相は「主役は俺」とばかりに出しゃばり続けた。発表こそは菅義偉(すがよしひで)官房長官に委ねたものの、テレビの生中継カメラの前で首相談話を自ら読み上げた。そして各局のニュース番組をはしごし、「令和」の意味合いを宣伝した。いずれも前回の改元時にはなかったことである。

 会見では新元号が「国書由来」であることを強調。また、SMAPのヒット曲『世界に一つだけの花』を持ち出し、「若者たちが明日への希望ととともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、希望に満ちあふれた日本を作り上げていきたい」と語った。

 あげくのはては、「本日から働き方改革が本格的にスタートする」だの、「一億総活躍社会を作り上げることができれば、日本の未来は明るいと確信している」だの、政権肝いりの政策を新元号にかこつけてアピールした。

 この露骨な政治利用をメディアは全面的にバックアップした。テレビ番組は朝から晩まで新元号の話題で塗り潰された。NHKのはしゃぎぶりは特に異様だった。安倍首相お気に入りの岩田明子・政治部記者がフル回転し、「新元号に込めた首相の思い」などを解説してみせた。

 新聞各紙は競って号外を発行した(読売新聞は約103万部、朝日新聞は20万部)。翌2日の朝刊は全紙とも1面トップに「令和」の巨大な見出しが踊った。「国際化の時代に元号が必要なのか」といった冷静な観点からの報道は皆無だった。

 何ともうさんくさい空騒ぎである。政府は「新元号は国書由来」と強調するが、典拠とされる万葉集の序文は中国由来の漢文調で書かれたものだ(そもそも元号自体が中国発祥である)。SMAPまで持ち出した安倍首相の会見に至っては「アホくさ」以外の感想が出てこない。

支持率上昇はなぜ

 とはいえ、新元号お披露目パフォーマンスが一定の政権浮揚効果を果たしたのも事実である。共同通信が4月1日〜2日に行った世論調査によると、内閣支持率は前回3月調査から9・5ポイント増の52・8%を記録した。新元号に「好感が持てる」との回答は73・7%。そのうち59・5%の人が安倍内閣を「支持する」と答えている。

 この現象をどう見ればいいのか。前回の天皇代替わり時には記帳所に多くの人びとが押し寄せた。渡辺治・一橋大学名誉教授の論考によると、これは主に大企業や自民党の組織的動員力の強さを示したものであった。そうした動員力は今や大企業にも自民党にもない。個々人はバラバラに分断されている。

 詳細な分析は今後の課題として、ひとつ言えるのは人びとのリセット願望の強さである。この30年間で日本経済は衰退し、豊かな国幻想は吹き飛んだ。生活は悪化するばかり。将来の展望も見い出せない。そうした閉塞感が強いからこそ、新時代への期待感を抱かせる演出に過剰反応してしまうのではないだろうか。

 「新元号を皆で祝おう」的なイベントによって、国家への一体感を刷り込む。国書由来アピールで「ニッポンすごい」意識をくすぐることによって、経済や外交政策の行き詰まりという現実を忘れさせる―。新元号発表はアベ政治のほころびを隠し、改憲策動に弾みをつけるための政治ショーであった。

 事実、自民党は統一地方選の新聞広告で「さぁ新時代」「祝新元号『令和』」とちゃっかりアピールし始めた(もちろん安倍首相のアップ写真とともに)。安倍政権が一連の天皇代替わり行事を政治利用しつくそうとしていることがよくわかる。

国民主権に反する

 元号は「皇帝が時を支配する」という王権思想にもとづくものだ。戦前の日本では明らかに天皇(制)による国民支配の道具であった。つまり、日本国憲法の国民主権原則に反するものだ。当然ながら、元号の使用を義務づける法的な根拠などない。

 だが、菅官房長官は「元号の使用は政府として強制するものではない」と言いつつ、官公庁など公的機関の元号使用については「この慣行は当然続けられるべきだ」と強調した。これが事実上の強制でなくて何であろう。

 実は、外務省は業務の効率化という観点から省内の公式文書の元号表記をとりやめ、西暦で統一する方向で検討に入っていた。ところが、官邸幹部が「そんなことはあり得ない」と不快感を表明するなど、安倍一派から批判が続出。河野太郎外相が「西暦に統一はしない」と軌道修正する一幕があった。

 アベ様が大宣伝している元号を下僕(げぼく)の分際で無視するのはけしからん、ということか。政府は「令和は美しい調和を意味する」と海外向けに説明しているようだが、普通に読めば「令」は命令の令である。そして、「和」は自民党改憲草案が日本の伝統文化と強調する「和を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」の和だ。つまり、令和とは「権力や権威に従順であれとの命令」と解釈できる。

 こじつけかもしれない。しかし、安倍首相が令和を激推しする理由はそれしか考えられないのである。  (M)



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