2019年05月24日 1576号

【新・哲学世間話(9)天皇代替わりに貫かれる女性差別】

 マスコミによる「改元」フィーバーのばか騒ぎもようやく終わりつつある。天皇の代替わりを機に、本紙でも、国家への国民統合に天皇制が果たしてきた、あるいは果たしている役割が改めてさまざまな角度から批判、論評されてきた。もう論点は出尽くしている感がある。

 それでも、問題の重要性に鑑み、「蛇足」的にもう一つ論点を付け加えておきたい。

 それは、天皇制が現代社会におけるさまざまな差別の支えとなっており、暗黙のうちに差別を正当化している側面をもっているという点である。

 現在の「皇室典範」では、天皇は「男系男子」に限ると定められている。これは、〈天皇は男でなければならない〉ということだけを意味しているのではない。女性皇族から生まれた男も天皇にはなれない。徹底した男女差別なのである。

 「令和の新時代」騒ぎに踊っている人びとでさえ、さすがにこの女性差別には首をかしげる人も多いだろう。この間の一連の代替わり儀式でも、この差別は随所に現われた。テレビが報じた「剣璽(けんじ)等承継の儀(三種の神器のうち剣と勾玉を受け継ぐ儀式)には、天皇のほかには2人の成年男子皇族しか出席していない。女性皇族はすべてその場から排除されている。つまり、最も神聖で重要な場面には〈女、子ども〉は入れないというわけである。

 「男女雇用機会均等法」以後も、職場や社会、家庭に厳然として残存している男女差別の究極の深層心理的源泉は、この〈女ではダメだ〉という、暗くどす黒い差別意識なのである。皇室に現存する女性差別は、社会の底流に残存しているこの差別意識を正当化していると言わざるをえない。

 小泉内閣当時には、女性天皇を認めようとする動きがあった。それは、男女平等のためというより、天皇制存続のためにではあるが。その動きを握りつぶしたのが、当時官房長官であった安倍晋三と彼の右派取り巻き連中であった。民主党野田内閣当時には、「女性宮家」の創出の動きが出てきた。同様に天皇制維持の動機からである。これも、安倍内閣の誕生とともにうやむやになった。「新時代の到来」の演出者、安倍は一貫して「旧時代」の代弁者であったのである。

 問題は男女差別に限らない。「生存者叙勲」「園遊会」「宮内庁ご用達(ようたし)」等々。これらはみな、国民を等級付け、差別化し、権威づける働きを「天皇」の名において行っている。象徴天皇の「国民統合」はこのような国民の差別化と表裏一体なのである。

   (筆者は元大学教員)
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