2019年05月24日 1576号

【シネマ観客席/主戦場/ミキ・デザキ監督 2018年 米国 122分/歴史の真実を見抜く言論バトル】

 日本軍「慰安婦」問題のドキュメンタリー映画『主戦場』が大きな反響を呼んでいる。「ようこそ、『慰安婦問題』論争の渦中へ」と銘打っているように、対立する主張の応酬をメインに据えた作品なのだが、ただの「両論併記」では終わらない。歴史修正主義者のデタラメぶりを白日の下にさらすことによって粉砕する映画なのだ。

対比させて検証

 ミキ・デザキ監督は1983年生まれの日系アメリカ人。もともとはユーチューバーとして活動してきた。日本の中学・高校で英語講師をしていた経験から「日本における人種差別」という動画を公開したところ、「日本に人種差別などない」と反発するネトウヨから誹謗中傷攻撃を受けた。その後、元朝日新聞記者の植村隆が日本軍「慰安婦」に関する記事でネトウヨに叩かれていることを知り、「慰安婦」問題に関心を持つようになったという。

 「慰安婦」は性奴隷だったのか、それとも売春婦だったのか。強制連行はあったのか。安倍政権に連なる右派はなぜ、戦争犯罪の否定に必死になるのか。連中が米国を「歴史戦の主戦場」と位置づけているのはどうしてなのか。湧き上がる疑問を胸に、デザキ監督はこの問題の論客と呼ばれる人たちを訪ねて回った。

 櫻井よしこ(ジャーナリスト)、杉田水脈(みお)(自民党国会議員)、ケント・ギルバート(タレント)、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、ユン・ミヒャン(韓国・挺対協)等々。現実世界では同じ場所に座って議論することがない「両陣営」の主張を、本作品は巧みな演出で対比させ検証していく。

 「歴史修正主義者に発言の場を与えていいのか」「嘘八百を“学説の一つ”に格上げすることにならないか」と危ぶむ人もいるだろう。ご安心あれ。本作品は、日本のメディアにありがちな自らの責任を回避するための「両論併記」ではない。デザキ監督は「単に並べるだけでなく、比較することで生まれる結論があります」と強調する。

 どちらの主張に客観的な根拠があり、筋が通っているのか―。「後は映画を観て自分で判断してね」と言いたいところだが、それでは映画評として物足りない。少しだけ内容に触れておこう(ネタバレを避けたい方は映画鑑賞後に読んでほしい)。

レイシストの正体見たり

 日系アメリカ人監督を相手に宣伝になると思ったのか、歴史修正主義者たちは驚くほど本音を語っている。しゃべりすぎた結果、主張のいかがわしさがバレただけでなく、民族差別・女性差別に凝り固まった本性まで露見することになったのだが。

 杉田水脈は「米国での『慰安婦像』設置は中国政府の陰謀だ。どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないから宣伝戦で日本を貶めている」と、時代錯誤の認識を開陳する。

 右派タレント「テキサス親父」のマネージャーである藤木俊一は「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。要するに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い」と、薄ら笑いで言い放つ。

 「慰安婦」問題研究の第一人者を自称する加瀬英明(日本会議代表委員)は、ほかの研究者の著作は「怠け者なので読んだことがない」とあっけらかんと話す。とどめは、つい最近まで極右論壇が「第2の櫻井よしこ」ともてはやしていた人物が告発する「歴史資料曲解の手口と右派業界人の本性」である(驚愕(★きょうがく)の証言は劇場で)。

 吸血鬼に太陽の光を浴びせて退治するかような展開を目の当たりにして、ホロコースト否定者との裁判闘争に勝利した歴史学者デボラ・E・リップシュタット(映画『否定と肯定』の主人公)の言葉を思い出した。「究極の勝利が訪れるのは、彼らがいかに理性に欠けているかだけでなく、いかに情けないかを実証したときである」

 『主戦場』はこれを見事に実践した映像作品といえる。

「初めて知った」と学生

 安倍晋三首相を筆頭に、改憲勢力はなぜ過去の戦争犯罪を頑なに否定しようとするのか。「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた藤岡信勝はこう語る。「国家は謝罪しちゃいけないんですよ。国家はね、仮にそれが事実であったとしても、謝罪したら、その時点で終わりなんです」

 侵略戦争の過ちを認めると、現在の戦争国家づくり路線を維持できなくなると連中は考えているのだ。映画は「慰安婦」問題を通じて日米軍事同盟の思惑をあぶり出し、「米国の戦争で日本の若者が死んでいいのか」と警鐘を鳴らす。その手法は実に鮮やか。大いに見習いたい。

   *  *  *

 「この映画で左派の人たちの考え方を初めて知り、意見が変わった」。日本の大学で上映会をした際、そのような感想を書いた学生がいたとデザキ監督は語る。「そうか、初めて知ったのか」と複雑な気持ちになるが、これが現実だ。情報戦では改憲勢力が圧倒しているのである。

 「『慰安婦』問題に関しては、いま日本では右派の主張がメインストリームになっています。そこに挑戦を示さないことは、彼らの言いなりになるということであり、現状を容認することにほかなりません」(デザキ監督)。そのとおり。巷にあふれるデマゴギーと果敢に闘い、真実を伝えていかねばならない。説得力のある言葉で、だ。(O)



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