2019年09月27日 1593号

【シネマ観客席/天気の子/監督・脚本 新海誠 2019年 日本 112分/「大丈夫」と言わせる欺瞞】

 公開中の映画『天気の子』(新海誠監督)の観客動員数が910万人を突破した。若者を中心にリピーターが多いのが特徴で、今年最大のヒット作になりそうだ。一部評論家は「誰かのためではなく、自分のためだけに生きよう、というメッセージが響く」を激賞しているが、実際のところはどうなのか。

 舞台は2021年夏の東京。異常な長雨が続いていた。

 離島から家出してきた高校生の森嶋帆高は、母親を亡くし弟と2人で暮らしている天野陽菜(ひな)と出会う。彼女は天候を晴れに変えることができる不思議な力を持っていた。2人は生きるために、陽菜の能力を活かした「快晴請負サービス」を始める。だが、力を使いすぎた陽菜は身体が透けていき、ついには別世界に召されてしまう。

 陽菜を人柱にしたことで異常気象は一段落した。多数の幸せのために誰かを犠牲にするのが世の常なのか。そんなのは嫌だ―。かけがえのない存在である陽菜を、たとえ東京中の人間を不幸にしてでも取り戻すことを、帆高は決意するのであった…。

変革の可能性を排除

 結論から言うと、陽菜は救出された。だが、その代償として雨は再び止まなくなり、東京は半ば水没する。それでも、陽菜と再会した帆高は言うのだった。「ぼくたちは、大丈夫だ」(おしまい)。この結末に「何が大丈夫なんじゃい」とあぜんとした人は多いだろう。「きみとぼく」が良ければ世界はどうなってもかまわないのか、と。

 一方、本作の「ラジカルな個人主義」を絶賛する向きもある。評論家の中川右介(59)は「この映画のとんでもなさが、浸透した時、世の中の何かが変わるかもしれない。家や親や学校や会社のためではなく、自分だけのために生きようとのメッセージが、確実にある」(7/26現代ビジネス)とまで褒めちぎる。

 新海誠監督(46)によれば、本作は「個人の願いと最大多数の幸福がぶつかってしまう話」なのだそうだが、「個人の願い」優先を全面肯定している点がヒットした理由の一つなのだろう。何かのために自分を抑えるのではなく、自由に生きたいと願う人がそれほど多いということだ。

 しかし、社会の民主的変革をめざす者の端くれとしては、『天気の子』の世界観を肯定するわけにはいかない。なぜなら、「社会は人の力で変えることができる」という真理をこの映画は意図的に排除しているからである。

最悪の現状追認

 セカイ系という言葉がある。90年代末から00年代にかけて流行した物語類型のことで、「きみとぼくの物語」が中間の社会をすっとばして「世界の運命」に直結するストーリーを特徴としている。

 新海監督は「セカイ系の代表選手」と見られているが、本人は「作中に社会が存在しない」という批評が不満のようだ。『天気の子』をめぐるインタビューでも、若者の貧困化など「社会」をちゃんと描いたと、強調する。

 たしかに、ゆっくりと水没していく東京の街は衰退する日本社会をあらわしている。このまま雨が続けば破滅を迎えることは確実なのに、見て見ぬふりを決め込む大人たち。陽菜の「不思議な力」は現実を一時的に忘れさせる娯楽のようなもので、根本的解決にはつながらない。そうした時代の閉塞感が作品に刻印されていることは確かだ。

 ただし、物語は「そんな世界を変えよう」という方向には進まない。「世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」とのセリフにあるように、現状をあるがままに受け入れるのみ。原因究明や打開策の検討には一切関心を払わないのである(異常気象の件にしても、「地球温暖化は人為的なもの」というアプローチがあってもよいはずだが、まったくない)。

 新海監督は言う。「日本の将来について…今あまりよくない方向に向かっているという感覚は、結構な数の人が共通して感じていることだと思います。でも、子どもにはその気持ちを共有してほしくないんです」(7/19ヤフーニュース)。なぜか。「大人たちの憂いや心配、後悔のようなものを軽々と飛び越えていく可能性が若い世代にはある」(『ダ・ヴィンチ』9月号)と言いたいらしい。それって、あまりに無責任ではないか。

応援するふりして逃亡

 この世界はどうしようもない。大人は皆クソだ。でも君たちはきっと大丈夫だ。愛さえあれば――身も蓋もない言い方をすれば、『天気の子』はこういう話である。大人の立場から若者たちを応援するふりをしながら、実はすべての責任を押しつけ、食い逃げしようとしているのである。

 世界の現実を直視し、少しも大丈夫ではないと認識することがなければ、自分の生き方を変えようとも社会を変える行動に踏み出そうとも思わなくなる。『天気の子』を観た若者たちが無責任な大人の欺瞞(ぎまん)的エールに感動し、真に受けてしまわないことを強く願う。ま、現実の若者たちがそれほどお気楽なはずはないのだけれど…。 (O)



ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS