2019年10月04日 1594号

【非国民がやってきた!(314)国民主義の賞味期限(10)】

 歴史学者の田中利幸は、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題に関する英語による研究書を早い時期に出版し、問題解決に向けて大きな前進をもたらすとともに、『空の戦争史』『戦争犯罪の構造』などで科学技術の発展が戦争形態を変え、容易に人道に対する罪が起きてしまう時代を迎えたことに警鐘を鳴らしてきました。

 他方、ジョン・ダワーやハワード・ジンの著作を翻訳紹介するなど、幅広い視点で歴史と現在を考察することに力を注いできました。

 広島市立大学平和研究所時代には反核、反原発、平和を求める運動をリードするとともに、2007年には「原爆投下を裁く民衆法廷」を実現にこぎ着け、2012〜13年には「原発を問う民衆法廷」の判事を務めました。

 『検証「戦後民主主義」』において田中は、戦後民主主義と平和主義に立脚した私たちの戦後思想を「再審」に付します。それまでの自身の見解も含めて、その原初に立ち返って徹底検証します。

 第1の着眼点は、日本の戦争責任とアメリカの戦争責任を単に並列させるのではなく、両者を接合してその全体構造を問うことによって、戦争責任隠蔽の構造をあぶり出すことです。

 アジア太平洋各地における日本軍による残虐行為の数々は、東京裁判(極東国際軍事裁判)においていちおう裁かれたように見えます。

 しかし、東京裁判で裁かれたのは日本の戦争犯罪の一部に過ぎませんでした。被告席に立つべき最大の責任者が不在であっただけではありません。日本軍性奴隷制をはじめとする数々の残虐行為が調査不十分のまま残されました。731部隊の処遇もその一つです。

 米軍による無差別空爆と原爆投下も人類史に刻まれる巨大な人道に対する罪でした。しかし、田中は米軍の犯罪だけを糾弾するのではなく、日本側のお粗末な「防空体制」にも目を向けます。住民を守るつもりのない日本政府が、現に無差別空爆によって住民が塗炭の苦しみにあえいでいるのに、戦争終結を適時に決断することなくいたずらに死傷者を増やしていったからです。

 「かくして、戦時中、『防空体制』という欺瞞的な名称の国民支配体制で多くの国民を敵軍による空爆の犠牲者としておきながら、戦後は被害者に『戦争損害受忍論』を押しつけている日本政府の無責任は、単に自国民が受けた『被害』に対する責任を隠蔽しているだけではない。原爆被害をできるだけ利用しながら、『戦争被害日本国』というイメージを国内外に広めることで、15年という長期にわたる戦争中にアジア太平洋各地で犯した様々な残虐行為に対する『加害責任』をも隠蔽しようとしていることを、我々はここではっきりと確認しておく必要がある。このように、『被害責任』と『加害責任』の隠蔽は、実は巧妙に絡み合わされているのであって、この政治的に組み合わされた『責任隠蔽の絡み合い』を、我々市民が解きほぐし、日本国の責任、米国の責任、そして我々市民の責任、そのそれぞれの責任を明確にしない限り、戦争責任問題に対する根本的な解決は不可能なのである。」

 第2の着眼点は、「原爆神話」の二重のレトリックです。原水爆禁止日本国民会議議長を務めた社会科学者の岩松繁俊の「招爆論」を導線として、田中は原爆投下に至る歴史的経緯を洗い直します。

 戦略的状況を把握できず戦争継続に固執した昭和天皇。ソ連参戦の期日を横目に原爆投下を急ぎ、戦後世界の構築における主導権を狙ったトルーマン。原爆投下やソ連参戦という最重要事項に一切言及しなかったポツダム宣言。原爆投下と「国体護持」をめぐる裏取引。それゆえの無差別大量殺戮の正当化。

 「かくして、日米両国ともが、原爆衝撃効果を政治的に利用し、あたかも原爆という恐ろしい新兵器が戦争終結をもたらす決定的役割を果たしたかのように装ったのである。その結果、米国は、『招爆画策責任』と20万人以上に上る無差別市民大量殺戮の犯罪性と責任を隠蔽し、他方、日本側は、原爆によってもたらされた戦争終結によって、本来あるべき姿である『平和の象徴的権威』としての『国体』を取り戻し、維持していくのだという詭弁を弄することで、裕仁と日本政府の『招爆責任』と戦争責任を基本的にはうやむやにしてしまった。」

<参考文献>

原発を問う民衆法廷実行委員会編『原発民衆法廷(1)〜(4)』(三一書房、2013〜13年)

鵜飼哲・岡野八代・田中利幸・前田朗『思想の廃墟から――歴史への責任、権力への対峙のために』(彩流社、2018年)
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