2019年10月11日 1595号

【新・哲学世間話 田端信広  「○○人はこうだ」のわな】

 低劣なメディアの「韓国叩き」は終息しそうにない。「売らんがために」、メディアは差別的言辞をエスカレートさせている。先ごろも『週刊ポスト』9月13日号が「反韓から断韓へ」という刺激的なタイトルの特集を組んだ。さすがに、これには何人かの作家、文筆家の「小学館断筆」宣言が相次ぎ、『ポスト』は謝罪に追い込まれた。

 その際、とりわけ作家たちの批判の対象となったのが、第二特集「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」である。その内容は、<そもそも韓国人がすぐ怒りを爆発させるのは、この民族全体に特有の生理学的な病気なのだ>と主張している。

 この種の批判は、文在寅政権や韓国民衆運動への批判とは質的に異なる危険性を含んでいる。ナチスによる「ユダヤ民族抹殺」の根拠とされた、民族「優生学」思想を含むのだ。ある民族は別のある民族より「生物学的に」劣っている(あるいは優れている)と主張する、最も醜悪な差別的思想なのである。

 この犯罪的な「優生学」思想は、ときに、ごく一般的なナショナリズムというオブラートに包まれて顔を出す。『ポスト』の事例はその典型である。

 ナショナリズムは、「私」の特定の能力の、「彼(女)」のそれに対する「優劣」を、いとも簡単に「自民族」の「他民族」に対する「優劣」にすり替える。わたしたちも、この危ない「わな」にはまりかねない。

 たとえば、ある特定の韓国人(あるいは中国人)の好ましからぬ言動を目にして、すぐ「だから韓国人(中国人)は、こうなのだ」と非難する場合、気づかないまま、ナショナリズムの陥穽(かんせい)に陥っている。わたしたちは、深く意識もしないまま「○○人はこうだ」と語るときがある。これは危険なことなのだ。

 そして、「ドイツ人」や「フランス人」に対してはあまりこういうもの言いはしないのに、なぜ「韓国人」や「中国人」に対してだけ、しばしばこのような言い方がされるのか。その理由を、一度胸に手を当てて考えてみる必要がある。

 現実に存在しているのは、ひとくくりにされた「韓国人」一般などではなく、性格や心情、思想を異にした個々の人間だけである。ところが、ナショナリズムは、個々人の差異や区別を「国民」の名のもとに一色に無理つぶしてしまう。この暗黙の操作のうえに、「他民族」に対する「自民族」の優位という思想がのっかかるのである。すると、ナショナリズムは近代の「国民国家」がその成立以来宿命的に抱え込んできた思想だと言わねばならない。

 わたしたちは、安易に「○○人はこうだ」と言うのを慎まねばならない。それは「A型血液の人間はこうだ」と言うような無邪気な過ちではないのである。

(筆者は元大学教員) 
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