2019年10月11日 1595号

【アリラン歌う軍「慰安婦」像/作者の金城実さんが寄稿/政治と芸術から戦争へ】

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に対し、文化庁は決定済みだった補助金7800万円を全額交付しないと発表した。日本軍「慰安婦」問題のモニュメントなどを申告なく展示したことを問題視したという。表現・芸術活動に対する国家権力の介入が強まる中、沖縄在住の彫刻家・金城実さんは不当な圧力に抗議の意思を示すために、自身初となる「慰安婦像」を制作した。その金城さんから「政治と芸術から戦争へ」と題した寄稿をいただいた。

少女像撤去について

 日本政府は自らに都合が悪い戦争犯罪を覆い隠すために、様々な歴史歪曲策動をくり広げてきた。歴史教科書に対する攻撃が典型で、沖縄戦における「集団強制死」を「住民の自発的な死」と歪めた。日本軍「慰安婦」問題の記述も徹底的に削除させた。国家の歴史認識はこのように修正されていくのである。

 そして今まさに「あいちトリエンナーレ」の「平和の少女像」の展示をめぐって、名古屋市長の河村たかしは「どう考えても日本人の心を踏みにじるもの、いかんと思う」と述べ、展示中止を求めた。作家の百田尚樹は「慰安婦像はアートではない。反日プロパガンダのモニュメントだ」と主張。産経新聞は「(少女像のような)ヘイト行為は『表現の自由』に含まれず許されない」と切り捨てた。

 「国策に反する作品は芸術ではない」と言いたいようだ。芸術、モニュメントの意味をまったく理解する能力のない奴らの発言は品格や知識もない滑稽なものである。これで民衆をだませると思うのがまたあさはかである。

国策美術の戦争責任

 では、芸術が国策に従ってしまったら、どんな役割を果たすのだろうか。

 1937年のパリ万博にピカソの『ゲルニカ』が出展され、非戦の作品として話題を呼んだ。ところが、同年7月の盧溝橋事件を機に日中戦争に突入した日本政府は、美術界を日本帝国の軍部の支配下に置き、全美術家報国運動本部を設置する。南京大虐殺事件が起きたのは、その年の12月のことである。

 1939年4月、陸軍美術協会が設立された。同年7月には同会主催で「第一回聖戦美術展」が上野の東京府美術館で開催され、東京朝日新聞社が共催した。総出品数は350点を超え、小磯良平『南京中華門の戦闘』などが出品された。

 このように、多くの翼賛美術団体が結成され、多くの展覧会(献画報国日本画展、海軍従軍画家展、聖戦従軍画家展、紀元2600年奉賛展覧会など)が行われた。その主旨は「売上金で飛行機や軍艦の建造を」というものだった。戦争献金のために画材の節約に乗り出して、絵の具の空チューブ回収運動まで行った。

 1943年、大政翼賛会文化部の指導で大日本美術報国会が設立され、会長に横山大観が座る。この社団法人は美術家の資格審査や材料の配給、価格の決定などを事業とした。国策に協力しない美術家は制作活動ができない仕組みが作られたのである。

 多くの戦争画を描いた藤田嗣治は1943年9月、『アッツ島玉砕』を「国民総力決戦美術展」に出品。1945年4月には『サイパン島同胞臣節全うす』を発表し、徹底抗戦・一億玉砕を叫ぶ軍部のプロパガンダとしての役割を担った(注)。

 このように、完全に軍部の下に組み込まれた美術家たちは国民を戦争にひきずっていく役目を果たした。その帰結が沖縄戦であり、広島と長崎への原爆投下だったのである。

 これが政治と芸術と戦争の歴史である。だが、国民を芸術によって地獄に落とし込んだ作家たちは責任をとっていない。戦後、藤田はパリへ去り、高村光太郎は岩手に身をかくすことになるが、彼らの戦争協力はいつの間にか語られなくなり、日本を代表する画家として教科書に登場することになる。

 このように日本国民が歴史に無知であるがゆえに、河村や百田、はては日本会議のような現代版翼賛会≠ェすでに胎動しているのであろうか。

恨(ハン)を解く作品に

 私は40年間にわたり「戦争と人間」のモニュメント制作に取り組んできた。高さ3b×134mの巨大レリーフには、差別を受け抑圧された民衆と沖縄戦の歴史を彫り刻んでいる。沖縄に連行された朝鮮人軍夫を題材にした『恨(ハン)之碑』もそうである。

 今制作中の『アリランの詩(日本軍「慰安婦」像)』は、韓国映画『風の丘を越えて』(1993年)の中の、アリランを歌う少女のイメージから創作に着手した。

 映画の舞台は60年代の韓国。男女2人の戦争孤児の義父となったパンソリ(朝鮮の伝統芸能)芸人の男。彼は2人を韓国一のアリランの歌い手に育てるという大きな野望を抱いていた。だが、男の子のほうは厳しいしつけに耐えられず逃げ出してしまう。

 女の子は義父とともに旅の先々で歌って生活費を稼ぐ。そして義父はついに女の子に薬草を飲ませ、彼女から視力を奪う。唄を歌うことに視力は必要ないということだろうか。これが恨(ハン)だろうか、と思った。

 恨は植民地から生まれた哲学だろうか。日本語の恨(うら)みは個人の感情にすぎないsympathyだが、恨は朝鮮民族としての恨みではなく、不当な仕打ち・不正義に対して、それぞれの民衆がこれを心の奥底まで飲み込んでこれを解く(韓国語でいうハンプルダ)、つまりempathyである。

 あの少女像―日本軍「慰安婦」のモニュメントは、朝鮮民族に対する不当な歴史を問う、抵抗の「慰安婦」像である。それを読み取ることができるのか? 今、日本人に問われているのではなかろうか。

    (金城実/彫刻家)

*注 サイパンの戦闘では多数の民間人(沖縄出身者が多くいた)が死傷した。米軍の捕虜になることを恐れ、自ら命を絶った者も多い。こうした戦争に強いられた死を、藤田は「皇国臣民の道徳をまっとうした」と美化した。







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