2019年10月18日 1596号

【非国民がやってきた!(316)/国民主義の賞味期限(12)】

 『検証「戦後民主主義」』における田中利幸の第2の着眼点は、「『平和憲法』に埋め込まれた『戦争責任隠蔽』の内在的矛盾」という表現で提示されます。これは驚くべきことです。

 私たちは、日本国憲法はアジア太平洋戦争という侵略戦争を反省して国際協調主義と平和主義(戦争放棄、軍隊不保持)を掲げた、と理解してきました。憲法前文は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と明言し、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」としています。田中は憲法前文及び9条の歴史的意義をもちろん高く評価していますが、同時に田中は、そこには実は昭和天皇裕仁の戦争責任隠蔽のメカニズムが働いていたことを指摘します。田中によると、従来の憲法理解では第9条を取り出してその意義を語ってきましたが、9条は前文から切り離して論じるべきではありません。また憲法第1章から切り離すべきでもありません。

 国際協調主義と平和的生存権の前文を受けて、第9条が恒久平和主義を掲げたという理解には、一つの難点があります。それならば第9条は第1条であるべきだったのではないか。なぜ第1章(第1条〜第8条)の天皇制の諸規定が間に割って入っているのでしょうか。

 単に形式上の問題だけではありません。大日本帝国憲法では神聖不可侵、元首そして元帥とされ、実際にアジアに対する侵略戦争の主導者であった天皇が、憲法前文と第9条の間に居座っているのです。

 この謎を解明するために、田中は憲法制定過程を検証します。GHQとマッカーサーの主導により始まり、帝国議会で制定された憲法の制定過程をここで紹介する余裕はありません。田中の結論は次のようにまとめられます。

 「かくして、憲法9条に内在する『普遍原理=国家性・国家暴力否定』と、憲法第1章を根底から規定づけている『国家原理=軍事暴力機構の独占』には、解き難い決定的な矛盾があることは明らかなのである。この矛盾は、再度強調しておくが、『平和憲法』が、『平和に対する罪』を犯した裕仁の免罪・免責を帳消しにするために設定されたという、度し難い矛盾に起因していることは明らかなのである。」

 侵略戦争を真に反省して新憲法を制定したのであれば、天皇制を廃棄していれば自然だったのです。君主制は敗戦によって打倒されるのが世界の常識でした。ところが、その例外が天皇制となってしまったのです。

 それゆえ田中の第3の着眼点は、「象徴天皇の隠された政治的影響力と『天皇人間化』を目指した闘い」となります。「戦後民主主義」は「恒久平和主義」と象徴天皇制によって引き裂かれてきました。

 沖縄をアメリカに売り飛ばした天皇メッセージ。戦争を反省したようでいて、植民地支配をおよそ反省しなかった社会意識。戦争放棄と称しながら日米安保体制を構築し、世界最強の軍隊を抱える日本列島。「慰安婦」問題や徴用工問題をはじめとする戦争責任問題を解決できない日本政治。対米追随に明け暮れながら、アジアに対する蔑視を強化し、在日朝鮮人に対する差別とヘイトに励む日本社会。

 これらは個々別々の現象ではなく、日本国憲法が抱え込まされた矛盾が政治・経済・社会の至る所で激突し、罅(ひび)割れを起こしていると見るべきです。日米安保体制と、象徴天皇制と、「恒久平和主義」という、異質の理念が相互に否定しあい、拮抗しあってきた。「戦後民主主義」は危うい位置で揺れ動いてきた。田中はこうした認識抜きの素朴な「戦後民主主義」観念を指弾します。
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