2019年10月18日 1596号

【被ばくの心配のない環境で子どもたちの教育を/子ども脱被ばく裁判 証人尋問開始 福島】

 10月1日、「子ども脱被ばく裁判」の第21回口頭弁論が、福島地方裁判所で行われた。今回から5回にわたる証人及び原告本人尋問に移り、2014年8月に始まった裁判はいよいよ正念場となった。

 午前9時、裁判所前に福島県内はもとより関東、関西、アメリカ、ドイツ、韓国から支援者60人以上が集結。原発賠償訴訟原告のメッセージや9月19日に不当な無罪判決となった東電元経営陣刑事裁判の控訴の、報告を受けた。弁論は10時10分から始まった。

福島の子どもたちを救え

 午前は東神戸診療所長の郷地秀夫医師、午後は元京大教員の河野益近さんの証人尋問だ。郷地さんは原爆被爆者の日常健康管理を担当し、現在は福島の子どもたちの健康診断などを行なっている。河野さんは、福島原発事故以降、年に数回福島で放射能調査を行い、セシウム含有不溶性放射性微粒子の問題に取り組んできた。ともに現在の福島で子どもたちが生活することの危険性について証言した。

 2人は共通して▽事故で放出された放射性セシウムの相当部分が不溶性放射性微粒子であり、土壌中の不溶性セシウム粒子が呼吸によって体内に取り込まれた場合、数十年もの長期間肺等に沈着し、周囲の細胞を被ばくさせ続ける。▽この場合、生物学的半減期の考え方は適用できない、ことなどを証言した。

 国も県もリスクを否定できない以上、少なくとも希望する子どもたちには安全な教育環境を保障すべき、というのが原告側の主張だ。

 続いて、原告本人尋問に立ったのは、原告団長で元・原発労働者の今野寿美雄さん。原発事故当時、宮城県女川(おながわ)原発へ出張していたため、福島県浪江町の自宅と連絡がとれない間に、妻子は放射性プルームが流れていった浪江町津島に避難していた。「もしも国や県がSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを公開していたら『もっと遠くに逃げて』『ヨウ素剤をすぐに手に入れて飲んで』と伝えられたのに悔しい」と証言。行政の情報隠蔽による子どもへの無用な被ばく強要について、国や県に対する怒りをぶつけた。

真実は一つ

 裁判後の集会では、県民健康調査を経た小児甲状腺がんの手術などを担当する福島県立医大鈴木眞一教授の証人尋問、裁判所との進行協議状況の報告があった。本人は「(裁判期日は)日程が合わない」と渋っているが、裁判長が前向きで予定期日を変更してでも設定し、「福島県側から証人として申請してもらい、鈴木氏の言い分を事前に陳述書にまとめてもらった上で、こちらが疑問点を突いていく方法がよい」との意向を示したことも明らかにされた。事故後各地で放射能安全宣伝を繰り返していた山下俊一の証人尋問と並んで、大きな山場となる。

 集会の最後、「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」の原告が証言へのアドバイスを求めた。今野さんは「自分の思うままを述べたらいいですよ。真実は一つなんだから」との確信で応じた。

◆第22回子ども脱被ばく裁判

11月13日(水) 午前9時、福島地裁前集合/詳細は、子ども脱被ばく裁判のブログ

子ども脱被ばく裁判とは

 福島原発は、今も放射性物質を放出し続け、収束の目途すら立っていない。「低線量の放射線に長期間にわたり継続的にさらされることによって、その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧される」(2013年4月24日仙台高裁判決)と司法も認めるように、子どもたちの健やかな成長が脅かされている。

 福島県で子育てをする原告たちは、居住する自治体(福島市、川俣町、伊達市、田村市、郡山市、いわき市、会津若松市)に「子どもたちに被ばくの心配のない環境で教育を受ける権利が保障されていることの確認」を求めるとともに、事故後、県外に避難した人たちも含め、国と福島県に対し「原発事故後、子どもたちに被ばくを避ける措置を怠り、無用な被ばくをさせた責任」を追及するために、2014年、福島地方裁判所に提訴した。



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