2019年11月01日 1598号

【非国民がやってきた!(317)国民主義の賞味期限(13)】

 田中利幸が問い直している「戦後民主主義」は、一方では輝かしい平和主義であり、同時に高度経済成長の神話の時代でした。

 「戦後民主主義は虚妄だった」という批判もあり、「アメリカの影」も指摘され、それでも「戦後民主主義の虚妄に賭ける」といった言説も飛び交いました。右からも左からも支持され、同時に右からも左からも攻撃された「戦後民主主義」は「戦後民主主義は虚妄だったと発言していられるほどに安定した戦後民主主義だった」とも言えます。

 問題は議論がつねに「日本」に内向していく傾向を持ったことです。日本の「戦後民主主義」が、アジア諸国・諸民族との関係でいかなる位置にあったのか。アメリカの世界戦略にいかに規定されていたのか。これらが無視されたわけではないにしても、十分に詰められたことはなかったと言ってよいでしょう。それゆえ、田中は「戦後民主主義」を徹底的に洗い直す作業を続けます。

 第1の論点は、日本の戦争責任とアメリカの戦争責任を単に並列させるのではなく、両者を接合してその全体構造を問うことによって、戦争責任隠蔽の構造をあぶり出すことでした。

 第2の論点は「『平和憲法』に埋め込まれた『戦争責任隠蔽』の内在的矛盾」と表現されました。

 第3の論点は「象徴天皇の隠された政治的影響力と『天皇人間化』を目指した闘い」と輪郭づけられました。

 それでは田中は、どこに、どのように着地しようとするのでしょうか。

 田中の課題は「『記憶』の日米共同謀議の打破」と命名されます。「原爆戦争終結神話」と「天皇裕仁平和主義者神話」を打ち壊し、原爆投下という人道に対する罪を暴き、適切に裁く思想を我が物とすることです。そのために引証されるのは、ドイツのホロコーストに関する記憶の継承です。田中はテオドア・アドルノのオートノミー(自律性)論を視野に収め、ケーテ・コルヴィッツの彫刻「ピエタ」やエルンスト・バルラハの彫刻「空中に浮かぶ天使」を召喚し、ドイツの「過去の克服」運動における「記憶と継承」としての追悼施設運動にたどり着きます。ノイエンガンメ旧強制収容所資料館、ヴェーベルスブルク収容所博物館、ハダマ―旧精神病院追悼施設等々。

 ドイツだけでなく、欧州各国においてそれぞれの「過去の克服」が進行しています。ワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑、1956年ハンガリー革命歴史研究所、ブカレストのホロコースト追悼記念館等々、枚挙にいとまがありません。連合国によるドレスデン空爆も「過去の克服」の対象となっています。

 「ヒロシマ・長崎原爆無差別虐殺、南京虐殺、マレーシア華僑虐殺、ベトナム空爆被害者、ボスニア戦争被害者、9・11テロ被害者など、あらゆる戦争とテロ行為における大量虐殺被害者を悼む」ことが提起されます。

 田中は「文化的記憶」の日本独自の方法論を編み出していくことの重要性を唱えます。それは日本だけの物語を意味しません。「『記憶』そのものが、時間と場所にかかわらず存続する『普遍性』を内包していなければならない」からです。ヒロシマの原爆被害の歴史的特殊性を特殊性におしとどめるのではなく、特殊性の中に普遍性を見出していく精神の働きが不可欠です。

 日本にも先進的取り組みがなかったわけではありません。田中は、栗原貞子の『ヒロシマというとき』、丸木位里・俊の「原爆の図」等に言及した後、伝統芸術である能楽、特に多田富雄の新作能「原爆忌」「長崎の聖母」「沖縄残月記」等に「文化的記憶」のモデルを見出します。 
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS