2019年11月08日 1599号

【未来への責任(285)日韓―私たちの世代、次の世代】

 10月17日から19日まで、ノー!ハプサ(NO!合祀)訴訟弁護団と共に韓国を訪ねた。ソウルにオープンした植民地歴史博物館のプレオープンイベントで昨年6月に訪韓して以来である。その間、日韓関係は激変した。10月30日に韓国の大法院判決で元徴用工の勝訴が確定し、今年に入って安倍政権が対韓経済制裁を発動。韓国では日本製品の不買運動、日本旅行のキャンセルが激増した。「NO!アベ」のキャンドルデモが続き、「戦後最悪の日韓関係」と大々的に報道されている。

 私たちは木曜日の最終便で出発したが、満席でその多くは日本人の乗客。いつもの混雑ぶりだった。格安航空会社が乗り入れる空港では相当な影響が出ているようだが、羽田空港の様子を見る限り大きな変化は感じられない。滞在中に「NO!アベ」の行動に出くわすこともなかった。

 とはいえ、社会の雰囲気を感じる場面がなかったわけではない。ホテルにチェックインした後、韓国側スタッフと食事に出た。入った食堂でお酒を飲んでいたお客さんが、日本語で会話する私たちの様子を見ていて「こっちにきて謝罪しろ」と声を上げた。とまどう私たちの代わりに韓国人スタッフが「この人たちは20年も韓国人元徴用工や軍人軍属の遺族を支援してきた人だ」と説明してくれ、最後は弁護士と握手して別れた。初めて韓国を訪れた日本人旅行者がこうした場面に出くわすことがないとは言えない。「嫌韓」の感情を持たないことを願うばかりだ。

 私は「戦後最悪」という表現は誇張だと思う。「戦後」というからには、1945年8月15日以降の日韓関係を振り返る必要がある。1965年の日韓国交正常化までは国交さえなかった。日本漁船がたくさん拿捕(だほ)され、船員の帰還や補償問題が日韓交渉の議題の一つであった。私は1995年から日本製鉄の元徴用工裁判を支援してきたが、当時の日本の新聞には韓国関係の記事はほとんどない。マスコミも市民も韓国にはほとんど関心がなかったというのが現実だ。一方、20年以上前、私が初めて韓国を訪問した際、3・1独立運動の現場であるパゴダ公園のレリーフを見ていたら、お年寄りに取り囲まれ、抗議を受けた。日本による植民地支配への怒りは一貫して韓国市民の心の中にあったと見るべきだ。

 今や、年間一千万人が日韓を行き来する。日本の若者の韓国への関心も高い。今回の訪韓時も、植民地歴史博物館を見学している日本人留学生に出会った。お互いを友人ととらえ、理解しようとする世代が育っていることに希望を感じる。

 滞在期間中に開催された靖國問題のシンポジウム冒頭、太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表の李熙子(イヒジャ)さんが「裁判で前進はあったが、何も得られていない」と話していた。大法院判決は「解決」そのものではないという現実に改めて気づかされた。被害当事者も遺族も高齢化し、残された時間は少ない。若い世代に次の時代を託すためにも、植民地支配下の人権侵害を一つでも二つでも解決することが私たちの世代の責任だと感じている。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

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