2019年11月08日 1599号

【辺野古連続行動でダンプの入構を阻止した ZENKO参加団】

 10月21〜25日の「ストップ辺野古連続大行動」は、名護市琉球セメントの安和(あわ)桟橋で入構しようとするダンプを5日間にわたって阻止した。一翼を担ったZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)参加団メンバーから報告が寄せられた。

何でもやろうと待機 ダンプは「もう来るな!」

 3年前ZENKOとして初めて辺野古テントを訪れた時右翼が乗り込んで来ました。高江では機動隊に排除。あれからたくさん学びました。

 思いっきり気合い入れて3日目23日。今日は必ず土砂運搬があり機動隊、ダンプがやって来る。リーダーの指示があれば何でもやってやろうと早朝から待機して午後に。「さあ来い!」「いつでも来い!」から「もう来るな!」と思っていました。

 結局この日は、市民180人でダンプは1台も入れず。行動を呼びかけた「集まれ辺野古」共同代表の奥間さんにお会いしたら「こんなすっきり勝ったことはない。ありがとう」と言われました。指揮をとる人も「初めて来たという女性が泣いてました」。

 それを聞いて、私もおととい初めて塩川港に来た時、涙が出た話をさせてもらいました。「こんなきれいな海、片方はその埋め立ての土砂を取るために赤裸になった山。そんなことをして造るのは戦争するための基地。腹が立ちます。胸が痛い。子どもたちに申し訳ない」

 徐々に人が減り、私も車にもどりながら桟橋の方向を振り返ると、運搬船が桟橋を離れて行く。毎日毎日こんな体験をしている沖縄の人たちには頭が下がります。

 さあ! 大阪に帰って戸別訪問を再開! 大きなおみやげを持って帰ります!

    (大阪・倉富久夫)


国策による差別に涙 沖縄の声を広く伝え闘う

 2日目の22日は、「即位の礼」のためか警察も動かず。

 急きょ名護市の愛楽園(患者自らが創り上げてきたハンセン病の国立療養所)を訪問した。6月のスピーキングツアーで奥間さんから伺っていた「ハンセン病撲滅」の名による凄まじい差別の歴史(村八分、隔離小屋、強制堕胎。親族の墓に入れず行き来も絶たれる等々)を改めて聞く。ハンセン病と、戦争―基地という国策による2つの差別で苦しめられてきた人びとの辛さを思い涙した。

 全国交流会では搬出阻止行動の重要性を再確認。カヌー隊の映像も含め多彩な取り組みの報告があり、100名以上の参加者で成功した。

 3日目は安和桟橋ゲート前で行き交う車にボードでアピール。グルグル回りながらのアピールデモで構内へ入るダンプを止める取り組みだ。

 午後、県の承認撤回を無効とした「国の関与取り消し訴訟」判決に立ち会う。辺野古でお会いした方、初めての方たちと、裁判長の「却下」に怒りを共有した。

 あらゆる所で毎日闘っている沖縄の人たちの声を、訪問や街頭で広く伝え、諦めることなく闘いたいと思った。

    (大阪・糸賀孝子)

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