2019年11月22日 1601号

【闇に立ち向かう人は美しい/命を追求する作品これからも/山内若菜×金城実in沖縄・読谷】

 ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)沖縄参加団の一員として沖縄を訪れた画家の山内若菜さんから投稿が寄せられた。

 11月3日、読谷村にある金城実さんのアトリエを訪ねました。

 金城さんのアトリエは広く、命のテーマ、権力に対する栄光の文化がそこにひしめき合っていました。野外では巨大壁画が広がっていて、まさに戦争を多様な視点から、立ち位置から体感できる空間となっていたように感じます。心苦しいけれど美しい存在の人間像、彫刻がそこにしかとありました。アメリカへの表情の違い、敵国だけど同じ人間だから戦うものは戦わされて双方が苦しんだということ、そして農民のお母さんが顔をしかめて子どもを持つ姿、そんな姿に現実を表す。時代を超えてその光景の中に入れる。アトラクションのようなアトリエの効果があるんだと思います。

 非日常の沖縄、基地から役場を民衆が勝ちとった歴史のある読谷村に行き、旅する中で見たからこそかもしれませんが、深く心に残りました。絵だけの生活のなか集中して作品と向き合えた時間でした。

 金城さんの思いは、お金の力に屈しないこと、芸術家は貧乏だからすぐ権力の側に屈せざるを得ないことも多いが、命の尊厳を大事にし、命をまず第一に考え、ぬち(命)どぅ宝。それを語りつぎ、アトリエで芯のある制作をされている。大先輩です。

 芸術家は伝えるべき何かを持つべき、とはカンディンスキーが言った言葉ですが、自分のテーマの絵を描くことは当たり前。その他に、金城さんの場合だったら英語で海外にアピールできる、そんな力、何かプラスα持っている人が強いのだと思いました。

 芸術を高めること、デッサンを高めること、そして信念を持ってどう創作するか、誰に見せたいか、どう語り継ぎたいのかを考え、アトリエ空間、体感アトラクションという新しい彫刻のあり方を探る。立体物の哀れ、人間の姿というのはただ美しく着飾っていることが美しいのではなく、苦境の立場、闇にもがき立ち向かう存在そのものが美しいのだ、生きているっていうこと自体が本当に美しいのだとも思いました。

 命の尊厳を叫んでいた姿がすごく残っているのですが、「お金に歪められて屈せず、制作を貫いてほしい」と言われたことは本当に勉強になりました。芸術至上主義であってもいい、戦争の恐ろしさをそのまま体感できる作品があってもいい、訴えるメッセージが強くあってもいい、いろんな作品があっていいと思うのです。それを全部受け入れてくれる母体が芸術文化です。金城さんの在り方は今、多様性の中で最も排除したい文化で、何かと妨害は入るだろうと予想していました。

自然と人間との共生

 今まさに規制がかかっている世の中で、権力側の言う通りになるものを作らざるを得ないと妥協し甘んじていてはならないと何でもかんでも反発、抵抗する方法もあるけれど、押し込められて終わるならばやみくもになってはならないのではないだろうか。力強い線や隠したところに実は真意があったり、率直ではない、思いを閉じ込めうまく含みをもたせ、命を追求した作品。芸術性の高い、自然と人間が共生する作品。技術を追求することも忘れていない作品。それらがこれから残っていくのではないかと思っています。

 うまく乗り切りやり切る方法も大事で、表現の不自由の横暴、戦争時は戦争を持ち上げた画家の在り方、悲しい歴史を知った上で、静かな怒りを持って自然の美しさを描く。沖縄もアムール川も福島も、実際に本当に美しい。そして人の存在は抵抗する強い姿を含め、本当に美しい。希望の子どもの姿は何よりきらめきのある存在である。そういう意識を持って、命の作品を作り上げていきたいと改めて思う沖縄の旅となりました。



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