2019年12月06日 1603号

【シネマ観客席/i(アイ) 新聞記者ドキュメント/森達也監督 2019年 日本 113分/当たり前が異端視される異常】

 東京新聞社会部の望月衣塑子(いそこ)記者に密着したドキュメンタリー映画『i―新聞記者ドキュメント―』(森達也監督)が公開中である。真実を明らかにするために政府をとことん追及する――記者として当たり前の行為が、なぜ異端視されるのか。カメラが映し出したのは、民主主義の形骸化が急速に進む、この国の現実だった。

望月記者に密着

 キャリーバックを引きずり、夜の街を忙しく回る小柄な女性。新年早々、関係者への裏取り取材だろうか―。映画は望月記者が沖縄で取材する場面から始まる。

 昨年12月、安倍政権は辺野古新基地建設を既成事実化するために埋め立て作業を強行した。海はたちまち赤い色に染まった。投入された土砂に、深刻な環境汚染を引き起こす赤土が大量に含まれている疑いが強まった。

 「政府は状況を把握しているのか」。望月記者は昨年12月末の内閣記者会見で、赤土混入に関する質問をぶつけていた。だが、菅義偉官房長官は「法に基づいてしっかりやっています」「そんなことはありません」とくり返すばかり。そのうえ、司会役の上村秀紀・官邸報道室長が何度も質問をさえぎろうとした。

 まわりの記者たちは目の前で起きている取材妨害に抗議一つせず、キーボードを叩き続けている。官邸が望月記者の質問を「事実に基づいていない」と決めつけ、“あいつを黙らせろ”と言わんばかりの文書を提示した際も、記者クラブは黙認した。

 ならばと、望月記者は辺野古現地に飛んだ。そして、赤土の大量混入が事実であることを自分の眼で確かめた。再び内閣記者会見。菅官房長官に「あなたに答える必要はない」と言われても、めげずに質問をぶつける…。

 約10か月間、望月記者に密着した森達也監督はこう語る。「彼女のやっていることは政治権力に対して質問する、疑問があったらそれを口にする。追及する。これが何で注目されなければいけないのか」。記者として当たり前の活動が浮き上がってみえるのは、まわりが当たり前のことをしなくなっているからではないか、というわけだ。

共犯者と化すメディア

 本作品は望月記者の書いた『新聞記者』(角川新書)を原案としている。河村光庸(みつのぶ)プロデューサーによると、企画の段階からドラマ版とドキュメンタリー版を作る構想だったという(ドラマ版の『新聞記者』は6月に公開され、ヒット作となった)。

 今なぜ国家とメディアの関係を問い続けるのか。河村プロデューサーの答えはこうだ。「現在の安倍政権のおかしさは、もはや言うまでもないと思います。しかし、政権のメディア介入が功を奏しているのか、報道は表面的で大した追及もされないまま、長期政権を維持している」(11/17週プレNEWS)

 たしかにメディアの支援がなければ、安倍政権はとうの昔に倒れていただろう。大手新聞社やテレビ局の幹部は政権に取り込まれ、共犯者となった。「桜の見る会」の一件で安倍晋三首相の身びいきが批判されているこの状況下でさえ、内閣記者クラブ加盟各社のキャップが首相と会食している(11月20日)。

 映画にもこんな場面があった。望月記者に対し、麻生太郎財務相が「質問を重ねるのは、うちの文化じゃない」と言い放ったのだ。政権の中心人物が記者クラブを「身内」と認識している証拠である。ただし、決して噛みつかない飼い犬としてだが。

 一方、「身内」ではない森監督は内閣記者会見に参加できない(作品内で使われているのは記録映像を編集したもの)。仮に官邸が認めても、記者クラブ加盟全社の承認がなければ駄目だという。まさに官民一体で、市民の「知る権利」を阻害する行為が行われているのである。

空気を変えるために

 同じ方向に向かって泳ぐ小魚の群れのイメージ映像が象徴するように、映画の後半は「集団と個」という森監督の問題意識が前面に出てくる。「集団に埋没し同調圧力に負けるのではなく、『個』として声を発するのがジャーナリストの大事な部分なんじゃないか」(11/14朝日)

 もっともな指摘だが、映画が力点を置かなかった部分を強調しておきたい。森監督は「メディアは社会の合わせ鏡です」と主張する。であるならば、日本のメディアそして今の社会に欠けているのは、「団結と連帯」の精神ではないかと思うのだ。

 米国では、トランプ政権が気に入らない記者を会見場から締め出した際、他の記者も一緒に退場し、抗議の意思を示した。そうした「圧力に対して連帯する横のつながり」が日本のメディアは弱いと、デビッド・ケイ国連特別報告者は指摘する。

 望月記者自身は「ほかの記者や市民の方々と連帯することの大切さも感じています」(カドカワ文芸ウェブマガジン・11/15配信記事)と語り、映画にも出てくる官邸前集会の例をあげる。メディア関連労組が呼びかけ、現役記者を含む市民600人が望月記者への嫌がらせに抗議した集会だ。この意思表示によって、上村室長による質問妨害は一時収まったという。

 安倍政権は忖度ムードを巧みに作り出し、支配に利用している。だから「その空気を映画で変えたい」と河村プロデューサーは語る。それは、映画を観て「こんなのおかしい」と感じたi、一人称の私が声を上げ、行動することから始まる。     (O)



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